【1月15日 AFP】南アフリカ南部の半乾燥気候地帯カルー(Karoo)。フランス・フーゴ(Frans Hugo)さん(90)は毎週木曜日、コーヒーの入ったポットとゆで卵、半ズボンから出る足を日差しから守るタオルを持って、往復1200キロの新聞配達の旅に出る。

 過去40年間、ずっと続けてきた。今や消えつつあるこの地域の地方紙の最後のとりでといえる存在だ。フルネームは、チャール・フランソワ・フーゴだが、フランスの名で通っている。

 オレンジ色のフィアット(Fiat)ムルティプラ(Multipla)に全8ページの週刊紙を積み込み、木々がまばらに生える広大な砂漠地帯の町や村を巡る。相棒は古い携帯ラジオだ。

 フーゴさんは地方紙3紙のオーナーとなっており、配達だけではなく記事の編集もしている。

 南部沿岸部から北に約500キロに位置する人口3000人にも満たない小さな町カルビニア(Calvinia)を午前1時半に出発し、その日の夕方には戻ってくる。

「毎週木曜日に欠かさず配達に行く。体力が続く限り続けるつもりだ」

 フーゴさんはケープタウン(Cape Town)やナミビアで30年にわたり記者として働き、引退後カルーに越してきた。

「やっと一息ついてリラックスできると思った時、カルビニアで印刷会社と新聞社を経営する男性に、事業を引き継がないかと声をかけられた」

 当初はフーゴさんの娘夫婦がやっていたが、あまりにも大変で数か月で音を上げた。「それ以来、自分がずっとやっている」と話す。

 デジタル化の波に押され、世界中で新聞が発行部数を落とす中、妻とアシスタント3人に助けられ、歴史ある3紙を存続させてきた。うち1紙「メッセンジャー(The Messenger)」は1875年に「ビクトリアウエスト・メッセンジャー(Victoria West Messenger)」の名で始まった。残り2紙は1900年代創刊だ。

 3紙ともオランダ語から派生した「アフリカーンス語」で書かれているが、英語の記事が載ることもある。

 編集室には古いハイデルベルク(Heidelberg)社製の印刷機や裁断機が置かれている。従業員が使っているのは、1990年代初期のパソコンとソフトウエアだ。

 それでも、毎週約1300部をここで刷っている。これは、地元の人が地域のニュースに強い関心を持っていることの表れだとフーゴさんは言う。

 価格は1部8ランド(約60円)。商店やコンビニ、定期購読者の自宅に配達される主な読者は農民で、町から離れた半乾燥帯に住んでいる。

 フーゴさんは、アフリカーンス語の新聞を発行することは、言語を守るとともに、数百キロ離れた砂漠の小規模共同体をつなぐ手段にもなっていると話す。

 フーゴさんが元気な限り、みんな毎週木曜に新聞を読むことができる。

「5年、10年後にどうなるかは全く分からない」と言う。

「心配していない」 (c)AFP/Michele SPATARI/Jan BORNMAN