【12月30日 Xinhua News】中国語の「関隘(かんあい)」は、交通の要所に設けられた関所や防御拠点を指す。通常は険しい山や深い峡谷の要衝に設けられた。かつては各所に関隘があり、中でも地勢が険しい場所に設けられたものは「一夫関に当たれば、万夫も開く莫(な)し」と呼ばれた。

 その起源は古く、夏、商(殷)、周の時代にさかのぼる。当時は徴税のために辺境に設置された関所だったが、春秋戦国時代になると各諸侯が築いた長城と結合し、外敵を防ぐ砦(とりで)となった。その後の各時代には、多くが方形や多角形の城壁や城門、城楼、墩台(とんだい、防御施設)が相互に連携する防御施設となり、堀を備えるものもあった。多くの兵力を駐屯させ、食料や軍事物資を備蓄することで地域防御の拠点となり、関隘の得失が戦いの勝敗を分け、一国の存亡までも左右した。

 関隘は外敵を防ぐ以外にも、人々が往来し、商人が交易を行う際の交通の要所としても機能した。中国の関隘は規模が大きく、雄大な建物を持つことから、平時には自然景観に勇壮さを加える要素にもなり、歴代の武将や文人墨客も多くの詩を残している。近代になり冷兵器による戦争の時代が終わると、関隘の重要性も徐々に低くなり、現代では多くが史跡となっている。

 多くの関隘は長年の放置により損傷を免れなかったが、ここ数年はその整備に取り組む地方政府や観光部門が増えている。観光エリアを開設し、関隘が持つ文化を充実させることで、遥か昔に造られた要害に再び光を当て、その魅力をよみがえらせようとしている。(c)Xinhua News/AFPBB News