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北京市昌平区にある居庸関(きょようかん)。万里の長城の重要な関門であり、北京北西の障壁として古くから兵家必争の地とされた(2015年8月28日撮影)。(c)Xinhua News
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居庸関の関楼(2015年8月28日撮影)。(c)Xinhua News
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居庸関付近の2基の墩台の間を通る国道を走るバス(2015年8月28日撮影)。(c)Xinhua News
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河北省秦皇島市の山海関。創建は明代で、万里の長城最東端の関隘として「天下第一関」と呼ばれた(2013年8月23日撮影)。(c)Xinhua News
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山海関関楼前の商店街を散策する観光客(2013年8月23日撮影)。(c)Xinhua News
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山海関の関楼入り口で「通関文牒(通行手形)」の手続きを体験する観光客(2013年8月23日撮影)。(c)Xinhua News
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天津市薊州(けいしゅう)区北部の山あいにある黄崖関の関楼と牌坊。創建は南北朝時代の北斉期にさかのぼり、万里の長城の中でも険しい要害として知られた(2015年4月17日撮影)。(c)Xinhua News
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切り立った山々が連なり、花や木々が生い茂る中に立つ黄崖関(2015年4月17日撮影)。(c)Xinhua News
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黄崖関の城壁の上を散策する観光客(2015年4月17日撮影)。(c)Xinhua News
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山西省忻州(きんしゅう)市代県北西の山あいにある雁門関(がんもんかん)の関楼。創建は明代で、万里の長城の重要な関隘の一つだった(2015年8月30日撮影)。(c)Xinhua News
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雁門関の全景(2015年8月30日撮影)。(c)Xinhua News
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雁門関関城前にある古鎮の一角(2015年8月30日撮影)。(c)Xinhua News
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山西省陽泉市平定県東部にある娘子関(じょうしかん)の関楼。唐代初年の創建で、地勢が険しく防御に適していた。太行山の重要な関門であり、太原の東側の障壁だった(2014年12月10日撮影)。(c)Xinhua News
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娘子関の内関楼(2014年12月10日撮影)。(c)Xinhua News
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娘子関の関楼と山の上に連なる城壁(2014年12月10日撮影)。(c)Xinhua News
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山西省忻州市繁峙(はんじ)県の北東にある平型関の関楼と明代の古城壁。山西、河北両省北部の重要な交通ルートだった(2015年8月29日撮影)。(c)Xinhua News
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遠方から望む平型関の関楼(2015年8月29日撮影)。(c)Xinhua News
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「平型関大捷」旧跡に建設された平型関大捷記念館(2015年8月29日撮影)。(c)Xinhua News
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甘粛省敦煌県北西部のゴビ砂漠の奥地にある玉門関関城遺跡。漢の武帝が河西回廊を開いた後に設置され、西域との重要な玄関口となった(2015年5月24日撮影)。(c)Xinhua News
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玉門関関城遺跡の内部(2015年5月24日撮影)。(c)Xinhua News
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玉門関近くの漢代長城遺跡を見学する観光客(2015年5月24日撮影)。(c)Xinhua News
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甘粛省敦煌県の南西にある陽関跡地に再建された陽関関楼。玉門関と並び、古代シルクロードの重要な関隘だった(2015年5月24日撮影)。(c)Xinhua News
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陽関風景区内にある「陽関」の石刻標識。遠くに見えるのは漢代の烽火台遺跡(2015年5月24日撮影)。(c)Xinhua News
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陽関の跡地。流砂が続くゴビの荒野を実感させる(2015年5月24日撮影)。(c)Xinhua News
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甘粛省嘉峪関(かよくかん)市西部にある嘉峪関の関楼。河西回廊(甘粛省西部)の要害だった(2015年5月25日撮影)。(c)Xinhua News
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嘉峪関関城の一角(2015年5月25日撮影)。(c)Xinhua News
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嘉峪関関城の内側(2015年5月25日撮影)。(c)Xinhua News
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陝西省渭南市潼関県の北部にある潼関(どうかん)の関楼。関隘が設置されたのは後漢末期で、黄河の渡し場と東西に通じる主要交通路を押さえる要地に立つ。古くから関中地域(陝西省中部の渭水盆地一帯)の防衛の要だった(2015年9月15日撮影)。(c)Xinhua News
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潼関関城の一角(2015年9月15日撮影)。(c)Xinhua News
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潼関関楼の石刻扁額(2015年9月15日撮影)。(c)Xinhua News
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河南省霊宝市の函谷関(かんこくかん)跡地に再建された関楼。函谷関が築かれたのは秦代で、中国史上最古の関隘の一つ(2015年9月15日撮影)。(c)Xinhua News
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函谷関関楼前にある歴史上の函谷関の戦いを描いた石刻壁画(2015年9月15日撮影)。(c)Xinhua News
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洛陽から西安に通じる函谷関(かんこくかん)古道に立つ関楼(2015年9月15日撮影)。(c)Xinhua News
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四川省広元市剣閣県の市街地の南に立つ剣門関の関楼。関中(陝西省)から蜀(四川省)への入り口にある天然の要害で、軍事的要衝だった。三国時代の蜀漢の宰相、諸葛亮(しょかつ・りょう、孔明)が行った数度の北伐も毎回同地を経由した(2014年11月16日撮影)。(c)Xinhua News
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高山に挟まれた深い谷の中に立つ剣門関の関楼(2014年11月16日撮影)。(c)Xinhua News
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剣門関関城外の石牌坊の前を、関所を守る将兵に扮して歩く人たち(2014年11月16日撮影)。(c)Xinhua News
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貴州省桐梓(とうし)県にある婁山関(ろうさんかん)の入り口。関名は毛沢東(もう・たくとう)の揮毫(きごう)。四川省と貴州省を結ぶ交通の要路に置かれた重要な関隘で、国共内戦時期の1935年2月、中国共産党が率いる中国工農紅軍第一方面軍は、この地で黔軍(けんぐん、国民党にくみする地方軍閥軍)と激戦を繰り広げた。毛沢東の詩「憶秦娥・婁山関」は要害の風情を高めている(2015年7月14日撮影)。(c)Xinhua News
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婁山関関城の城壁に残る古い砲台(2015年7月14日撮影)。(c)Xinhua News
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婁山関風景区にある毛沢東(もう・たくとう)自筆の「憶秦娥・婁山関」行草が刻まれた大理石の壁の前で、記念撮影する観光客(2015年7月14日撮影)。(c)Xinhua News
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広西チワン族自治区憑祥(ひょうしょう)市の南西に立つ友誼関(ゆうぎかん)の関楼。別名を睦南関といい、明代初期に築かれた。中国とベトナムを結ぶ交通の要衝の一つ(2014年2月6日撮影)。(c)Xinhua News
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