【10月25日 AFP】ベラルーシ人の義勇兵グレブ・グンコ(Gleb Gunko)さん(18)は、砲撃で両脚を負傷しウクライナの前線を離れた。毎晩悪夢にうなされ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみながらも、志願してロシア軍と戦ったことを後悔していない。

「(戦場に)残りたかったが、医師に駄目だと言われた」と穏やかな口調で語る。「戦場で多くの友人を失った。指揮官も死んだ」

 ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ(Alexander Lukashenko)大統領はロシア政府と近く、ベラルーシ国民にはウクライナ防衛に命を懸けることを選んだ人も多い。首都ミンスク出身のグンコさんも、その一人だ。

 ルカシェンコ政権が反体制派への残忍な弾圧を開始した2020年に祖国を離れ、ポーランドに亡命した。

 出征前の3月にもAFPの取材に応じ、「ウクライナのためだけではなく、ベラルーシのためにも戦いに行く」「なぜなら私たちの自由も、ウクライナの状況とこれからそこで起こることに左右されるからだ」と語っていた。

 今、ポーランド・グルイェツ(Grojec)に戻ったグンコさんは、「戦争に行く前は、死は死であり、誰もがいずれ死ぬという事実を受け入れていたと思う。でも、何もかもひど過ぎた」と告白する。

 数十年間にわたり強権体制を維持するルカシェンコ大統領は、ロシアのウクライナ侵攻を積極的に支援したとして国際社会から非難を浴びている。グンコさんは反体制派だが、ベラルーシ国民として侵攻に責任を感じている。

■罪悪感

 ウクライナの首都キーウにベラルーシからロケット弾が撃ち込まれていることに「罪悪感がある」とグンコさん。7月まで4か月間に及んだ戦場生活についても「もっとできることがあったはず」と無念を口にした。

 ポーランドの首都ワルシャワでベラルーシ人義勇兵のウクライナ行きを支援するNGO「ベラルーシ人会財団(Belarusian House Foundation)」を通じて、戦争に行った。ウクライナ到着後に2週間の軍事訓練を受け、キーウや南部ヘルソン(Kherson)周辺の塹壕(ざんごう)で国際義勇兵と一緒に戦った。

 ロシア軍撤退後に数百人の遺体が発見されたキーウ近郊ブチャ(Bucha)では、多くの民間人の遺体を見た。ヘルソン郊外では、戦友の英国人狙撃兵がロシア軍に射殺される瞬間を目撃し、遺体を運ぶのを手伝った。

 ロシア軍のBMP3歩兵戦闘車からの砲撃を何時間も浴び続け、身動きが取れなかったこともあった。爆発し脚に刺さった砲弾の破片は、今も体内に残っている。

 グルイェツの公園のベンチでトラウマ体験を語るグンコさんは、3月の取材時より見るからに痩せ細り、控えめな印象を受けた。7月に帰還して以降は静かな日々を送っているという。

「軍隊によって人間はましになる」。インタビューのため戦闘服を着てきたと言い、こう続けた。「変わったとみんなに言われる。落ち着いて、よく考えるようになった」

「戦争と同じだ。人を観察して、何が起こるかを待つ。たぶん悪いことが起こるだろうと予測して」 (c)AFP/Anna Maria Jakubek