【10月9日 Xinhua News】中国山西省(Shanxi)考古研究院はこのほど、同省大同市(Datong)で見つかった北魏時代の墓の発掘調査の詳細情報を発表した。墓からは陶俑が多く出土し、同王朝が平城(現在の大同)に都を置いた北魏平城時代(398~494年)の葬儀文化や民族服飾、社会生活を研究するための新たな資料となった。

 同墓は大同の中心市街地に位置する。同市考古研究所が2013年に建設工事に合わせて実施した北魏墓群の発掘調査で見つかった。墓は墓群の中央に位置する土洞墓で、墓道と墓室をふさぐ「封門壁」、墓室の3部分からなる。墓室は南北2・94メートル、南辺2・3メートル、北辺1・35メートルで、西側に木製のひつぎが南北方向に安置され、ひつぎの東側に副葬品が並べられていた。

 出土器物51点(組)のうち、下半身のみの鎮墓俑1点が泥製だったのを除き、残りは全て灰陶(灰色系土器)だった。外出時の行列を表した出行儀仗俑(ぎじょうよう)、家庭生活を表した家居生活俑(俑)、動物俑、模型の明器などがあり、騎馬俑が先導し、馬車俑が護衛につき、後方に牛車を伴い、周囲を男女の楽俑、女舞俑、男女の侍俑、男執物俑、労働俑、動物俑、模型明器などが囲む隊列を形作っていた。うち、女楽俑の服装には左衽(さじん、着物を左前に着ること)も右衽も見られ、北魏平城時代の民族文化の融合と服飾の発展を反映していた。

 考古学専門家は同墓について、長い傾斜墓道を持つ偏室土洞墓という墓の形状は北魏平城時代の大同で比較的よく見られるものの、出土器物の組み合わせが、被葬者の身分が高く、墓室面積も広い磚室墓(せんしつぼ、れんが墓)に似ているケースは特殊であり、当時の中・上流階級が小規模な墓を用いていた可能性も否定できないとの見方を示した。(c)Xinhua News/AFPBB News