【10月8日 CNS】中国・新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)ニヤ県(Niya)のニヤ遺跡は、「漢書」に記された西域36国の一つ「精絶国(チャドータ)」の跡地で、1988年に、中国と日本が協力して「日中共同ニヤ遺跡学術調査」を実施した。同遺迹から出土した文化財、「五星錦」とも呼ばれる「五星出東方利中国(五つの星が東方に出現し、中国に利する)」の文字を織り込んだ漢代の錦織腕章は、20世紀の中国考古学における最大の発見の一つと称され、「国宝中の国宝」とされている。

 中国と日本の専門家の共同の努力により、「精絶国」はどのようによみがえったのだろうか?

「日中共同ニヤ遺跡学術調査隊」の日本側チームを率いた小島康誉(Yasutaka Kojima)氏は、インタビューで「日中協力の考古学的発掘は、日中関係にとってポジティブな話題だ。日中間の友好、相互理解、交流に基づく文化遺産の保護研究を期待している」と述べた。

 1986年、小島氏は、新疆には三つの重要な遺跡があり、うちニヤ遺跡のみはまだ正式な調査が行われていないことを耳にした。そうして、日中両国ニヤ遺跡の「共同調査」が提案された。その後、当局の承認を得て、1988年10月から11月にかけて、初の日中共同ニヤ遺跡学術調査が開始された。

 日本側と中国側はまず、いくつかの協定を結び、調査の名称と内容を正式に確認した。調査費用と保護協力費は日本側が負担し、出土品は中国側が所有。調査の成果は双方が共有し、遺跡の計測、発掘、研究などの作業は、共同で行うことで合意した。

 1994年、日中共同調査隊は、中国国家文物局から発掘許可を取得した。中国国家文物局が中国と外国の共同調査隊に発掘許可を出したのは初めてだったという。

 1995年10月12日、第7次調査の際、調査隊が遺跡の北部に向かう途中、砂漠から一部露出した木製のひつぎの一部を発見し、それまで発見されていた露出した墓とは明らかに異なることがわかった。

 中国側チームの学術リーダーであり、新疆文物考古研究所所長であった王炳華(Wang Binghua)氏の指揮のもと、慎重に発掘を進め、1995年10月14日、ついにひつぎの開封の日を迎えることができた。1997年までに、中日共同調査隊はこの地で9回の現地視察を行った。

 また、ニヤ調査では、日本や中国の多くの機関からの各分野の専門家による協力があった。「五星錦」の発見を皮切りに、調査隊は西域36国の一つである「精絶国」の全容が徐々に明らかになってきた。

 全3巻、重さ7キロの日中2か国語で書かれた報告書は、北京大学(Peking University)と日本の仏教大学(Bukkyo University)の国際シンポジウムで発表され、発掘された文化財も国際文化財展で展示された。

 出土品の「五星出東方利中国」の漢代の錦織腕章は、中国国家文物局に「海外への持ち出し禁止展示文化財」に選定された。(c)CNS/JCM/AFPBB News