【9月21日 AFP】「ロシア兵は尋問2日目に、私の腕を折った」。ウクライナ軍がロシア軍から奪還した東部ハルキウ(Kharkiv)州イジューム(Izyum)で、ミハイロ・チェンデイさん(67)はAFPの取材に対し、ロシア兵から受けた暴力を振り返った。

「一人が私の腕を持ち、もう一人が金属棒でたたいた。ほぼ毎日、2時間にわたって殴られ続けた」「ある時点で意識を失い、大量に出血した。彼らは私のかかとや背中、両脚、腹部を打ち据えた」

 イジュームの病院でチェンデイさんは恐る恐る、歩く練習を始めた。骨折した腕は石こうで固定されている。この街がロシア軍によって占領されていた事実を想起させるものだ。

 チェンデイさんがロシア軍に拘束されたのは、ウクライナ軍が自宅付近の学校を攻撃し、「多数の」ロシア兵が死傷した後だった。チェンデイさんは、ウクライナ側に攻撃目標の位置情報を提供したと疑われ、そのやりとりを明かすよう要求された。

「頭に袋をかぶせられ、どこかに連行された。袋を外され、イジュームの警察署だと分かった」

■拷問部屋

 チェンデイさんの身に起きたことは、ウクライナ東部でのロシア軍による拷問や恣意(しい)的な拘束に関する数ある証言の一つにすぎない。

 ウクライナ軍は今月に入ってからの反転攻勢で、イジュームやクピャンスク(Kupiansk)、バラクリヤ(Balakliya)といった拠点を立て続けに奪還した。

 ウクライナ国家警察のイーホル・クリメンコ(Igor Klymenko)長官は16日、ロシア軍から奪還したハルキウ州の複数の集落で、拷問に使用されていた場所を少なくとも10か所特定したと発表。ウクライナ当局者は、イジュームでは集団墓地を発見したとしている。

 チェンデイさんは、ウクライナ軍による奪還までの間、12日間にわたって最大7人の他の捕虜と共に監禁されていたという、じめじめした小さな監房にAFP取材班を案内した。地下の二つの階にある十数室の監房に収容されていた別の捕虜もいた。

 チェンデイさんは約15人について記憶しているが、暴力を振るわれなかった人はいない。「四六時中、誰かが尋問され、うめき声を上げていた」。男性1人はそこで亡くなったという。

 警察署の地上階には、ウクライナ第2の都市ハルキウから、戦争犯罪の可能性を調べるため派遣された若い捜査官がいた。床の上にはファイル、壊れた椅子、引き出しの中身などが散乱し、混乱状態を呈していた。ある部屋には、床や古いソファ、机の上に、ウクライナ人のパスポートが100冊以上散らばっていた。

 捜査官は「やるべきことは多い」と語った。拷問を受けたとの証言についても、調べが進められるとしている。