■正日氏に見初められて

 正恩氏の母は大阪で育ったが、一家は北朝鮮政府が1959年から1984年にかけて実施した帰還事業で1960年代に北朝鮮に渡った。

 東京在住の作家でコラムニストのパク・チョルヒョン(Park Chul-hyun)氏は、日本に住んでいた朝鮮半島出身者に北朝鮮への移住を促したこの計画は、韓国への「優位性を示す」ためでもあったと話す。

「北は在日コリアン社会を戦略的な戦場」と見なし、10万人近くを「社会主義の楽園」とうたう自国に移住させたとパク氏は語る。

 高一家は、北朝鮮で比較的普通の生活を送っていた。そうした中で長女のヨンヒ氏を見初めたのが、金政権の後継者の正日氏だった。

 万寿台芸術団(Mansudae Art Troupe)の一員だったヨンヒ氏は、1972年に平壌で初めて正日氏に会ったと考えられている。1975年には正日氏の伴侶となり、公式の結婚証明書はないが3人の子どもをもうけ、2004年に死去した。

 米首都ワシントンのシンクタンク、スティムソンセンター(Stimson Center)が運営する北朝鮮分析サイト「38ノース(38 North)」の非常駐特別研究員レイチェル・ミニョン・イ(Rachel Minyoung Lee)氏は、「(北朝鮮)国営メディアは、高ヨンヒ氏に一切触れたことがない」と指摘する。