■「亡命」という表現は使わない

 スミルノワさんは、自身の決断を「亡命」とは呼ばないようにしている。旧ソ連時代、「鉄のカーテン(Iron Curtain)」をくぐり、西側に渡ったバレエ界のスーパースター、故ルドルフ・ヌレエフ(Rudolf Nureyev)や、ミハイル・バリシニコフ(Mikhail Baryshnikov)さんが使った言葉だ。

「私は自分に正直で、自分の良心に従っただけです。(中略)それが自分にとって正しいことだと思ったのです」とスミルノワさんは胸の内を吐き出すように語った。

「いろいろなことや(中略)家を失った人たちのことを思うと、本当に申し訳ない気持ちです」

 ロシアが侵攻を開始して「5日か6日」後、メッセージアプリのテレグラム(Telegram)にスミルノワさんは「心の底からこの戦争に反対する。ロシアを恥じることになるとは思わなかった」と書き込んだ。

■踊ることで解放

 スミルノワさんは、けがの治療のためにモスクワを離れ、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ(Dubai)へと向かった。そして、そこで行動に出た。

 退団と移籍については、夫とオランダ国立バレエの芸術監督テッド・ブランセン(Ted Brandsen)氏以外には伝えていなかった。

 ロシアにいる両親には寝耳に水だった。「私が国を出てボリショイを離れたことが今も受け入れられないようです」

 ボリショイの同僚からはほとんど反応がなかった。

「どう思っているのか分かりません。私の決断が理解できなかったのかもしれません。あるいは、保身のために真実から目を背けているだけかもしれません(中略)自分はダンサーだから政治的な問題には関係がないと」

 オランダでは温かい歓迎を受けたと話すスミルノワさん。4月には、古典バレエ「ライモンダ(Raymonda)」の新演出版で主役を演じた。

「(入団して)すぐにいつもの練習メニューを行い、普段の生活に戻った気がしました」と話し、踊ることで「思い詰めた状態から解放されました」と続けた。(c)AFP/Rana MOUSSAOUI