【5月24日 AFP】ロシアによるウクライナ侵攻で戦死したロシア兵の大半が極めて若く、貧困地域出身であることが、メディアなどの調査で明らかになった。少数民族も多いという。

 旧ソ連時代のアフガニスタン侵攻では、1979〜89年で約1万5000人のソ連兵が死亡したが、ウクライナ侵攻での戦死者はすでにこれを上回っているという。

 ロシアはウクライナ侵攻での戦死者数について口を閉ざしている。累計戦死者数は3月2日には498人、25日には1351人となったと発表したが、それ以来、新たな情報は公表していない。

 ウクライナ側は、ロシアの戦死者が2万7000人に上るとしている。西側諸国はこの数字は多すぎると指摘するが、それでもロシア側の発表は大きく上回ると考えている。

 英国防省は今月15日、ロシアがウクライナに投入した地上戦力の3分の1を失った可能性が高く、約5万人が死亡または負傷したとみられると発表した。

 ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は9日の戦勝記念日に、戦死者数には触れなかったものの、被害の重要性を珍しく認めたかのように、戦死者を追悼した。

 プーチン氏は「あらゆる兵士や将官の死は、われわれの悲しみであり、愛するものたちにとっては代わりがない損失である」と述べ、遺族や負傷者の家族への支援策を発表した。

 ロシア語メディア「メディアゾナ(Mediazona)」は、公表されている情報のみでも、5月6日までにロシア兵2099人の死亡を確認できたと報じた。

 年齢が公表されている死者では21〜23歳の割合が最も多く、20歳未満も74人含まれていた。

 地域別では、戦死者の大半をロシア南部出身者が占めていた。イスラム教徒が多い北カフカス(North Caucasus)地方のダゲスタン(Dagestan)共和国の兵士が最多で135人。次いで、シベリア(Siberia)連邦管区のモンゴル系少数民族ブリャート(Buryat)人が住むブリャート共和国出身者が98人だった。

 首都モスクワや第2の都市サンクトペテルブルク(St. Petersburg)など、国内の他の地域よりかなり裕福な地域出身者の死亡は、数えるほどしか報告されていない。