【5月9日 AFP】ロシア人写真家パベル・オスキン(Pavel Oskin)さん(48)は、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領と闘っている──自分にできる方法で。チェコ在住のオスキンさんは首都プラハでウクライナ難民を受け入れ、職探しを支援している。

 オスキンさんは、友人の手を借り、解体予定だった元ベトナム料理店を難民センターに改装した。ぼろぼろのスーパーマーケットとカジノの間に立つ建物には現在、16人が暮らしている。あと数十人は受け入れ可能だ。

 オスキンさんのスタジオにも15人と猫2匹、犬1匹が住んでいる。

 タトゥーを入れ、ハーレーダビッドソン(Harley-Davidson)のバイクに乗るオスキンさん。「写真を撮ったり、戦闘に加わったりもできるが、私はここにいた方が役に立つ」とAFPに語った。

「プーチンが戦いを続ける限り、私もこの闘いを続ける。これが私の戦争だ」

 AFPの取材に応じる間にも、電話が鳴り続けていた。

 風景写真家のオスキンさんは2008年、ロシアからプラハに移住した。

「娘は6歳で、プーチンが権力を持っていた。あそこに未来はないと分かっていた」

 ロシアがウクライナに侵攻すると、オスキンさんはフェイスブック(Facebook)でウクライナ難民受け入れ施設開設のための寄付を呼び掛けた。目標金額は2万ドル(約260万円)に設定した。

 地元の慈善団体「ハウス・オブ・グッド(House of Good)」も資金の一部を提供してくれた。

 難民センターには、キッチンが二つ、シャワーとトイレは10ずつある。

 地元の人がさまざまなものを持ってやってくる。子ども用の自転車やキックスケーターを寄付した人もいた。

 エントランスホールは、テーブルサッカーの台やジャングルジムが置かれた子ども用スペースと、大人のためのラウンジに分かれている。

 施設内のWiFiのネットワーク名は「Slava_Ukrajine(ウクライナに栄光あれ)」、パスワードは「GerojamSlava!(英雄たちに栄光あれ!)」に設定している。

 マイヤ・キセレビッチ(Maiya Kiselevich)さんは、息子2人と自分のきょうだい1人と共に、ウクライナ南部の港湾都市オデーサ(Odessa)から避難してきた。車で1週間かけてモルドバ、ルーマニア、ハンガリー、スロバキアを経由し、プラハにたどり着いた。

 侵攻開始以来、チェコにはウクライナ人約30万人が避難している。

 キセレビッチさんは3月9日、プラハに到着。最近オスキンさんの施設に来るまで、別の施設に滞在していた。

 オスキンさんの施設は「子どもたちが遊ぶスペースもあり、マットレスやベッドなど新生活に必要なものはどれも新品だ」と話した。

 オスキンさんは現在、難民の仕事探しを支援する方法を模索している。「彼らは最初に、どこに住むのかということではなく、何をするのかということを聞いてくる」

 キセレビッチさんは、チラシ配りから清掃までなんでもやるつもりだ。「いつまでもここに無料で滞在させてもらうことはできない。代わりに働く用意はできている」

 オスキンさんは仕事仲間のデベロッパーやデザイナーに依頼し、職探しをしているウクライナ人にチェコ人が仕事を依頼できるようなアプリの開発を進めている。ウーバー(Uber)のように、簡単に清掃を依頼したりできるようになるという。

「ウクライナ難民はどうにかして、ここで暮らしていかなければならないのだから」とオスキンさんは語った。(c)AFP/Jan FLEMR