■「皆、兵士」

 センツォフ氏はロシアが侵攻した日から国民防衛隊に参加し、最初の2週間はキエフ郊外の検問所に詰めた。

 その後、ウクライナ軍部隊と共に、キエフ市外の森の中の「防衛の最前線」に移動した。正確な場所は教えられなかった。そこでは激しい集中砲撃やロケット弾による攻撃も受けた。

「ロシア軍がキエフを制圧するためここに攻撃しながら向かってきたら、私たちがそれを阻止する最前線となる。接近戦も増えるだろう」

 センツォフ氏の作品は、欧州各地の映画祭で上映されたこともあった。だが、映画監督して再び活躍する日はまだずっと先のことになりそうだ。

「今は撮影はしてない。第一にそんな時間はないし、第二に撮る気にもならない」と言う。

 ウクライナ政府はセンツォフ氏に報道室での仕事を依頼したが、「それは私が進むべき道ではない。私が進むべき道は一介の兵士になることだ」として断ったという。

 ヨーロッパ映画アカデミー(European Film Academy)やウクライナの映画制作会社などから支援の申し出もあった。「戦時下では、映画監督だろうがバス運転手だろうが、単純労働者だろうが関係ない。私たちは皆、兵士だ」

 それでもいつの日か、映画作りに戻りたいと思っている。ただ、ウクライナ侵攻についての映画を撮るために「頭を冷やす」時間は長くなるとも感じている。

「どのような映画を撮るかは分からない。戦争前から脚本を書きためていた。ひょっとしたら、ここにいる間にアイデアを思い付くかもしれない」と話す。

 しかし当面は、カメラのレンズではなく、ライフルの照準器越しに戦争を見るつもりだ。

「今までいろいろなことをしてきた。人生が変われば、やっていることも変わった。映画制作は人生の一部にすぎない。今は、祖国にとって最も有益だと思う場所にいる」 (c)AFP/Danny KEMP