【2月9日 CNS】2021年、日本の有名画家の故平山郁夫(Ikuo Hirayama)氏の名を冠した平山郁夫シルクロード美術館は中国の多くの地域で海外巡回展を連続開催し、うち11月に敦煌市(Dunhuang)にある世界遺産・莫高窟(ばっこうくつ、Mogao Caves)で終了した「館蔵文化財展」はその年のピークに達し、中国で「シルクロード文化財ブーム」が巻き起こった。今回の展示では、西はローマから東は日本まで、欧州、西アジア、中央アジアなどの国と地域にまたがる325点の古ガラス器が展示され、古代シルクロード沿線諸国の各民族の知恵と創造力をパノラマで展示した。

 敦煌を最も愛する日本人と呼ばれる平山氏は、40年以来、「家財を使い果たしても莫高窟を守っていく」という決意を表明し、日本と敦煌を往復する「文化交流使」を次々と生み出すことを促した。彼の主導の下、学者らは敦煌学、仏教芸術、美術模写研究、石窟考古、文化財保護などの分野をめぐって、中日文化交流と相互学習を推進した。

 1979年、すでに傑出した画家であった平山氏が初めて敦煌を訪れ、敦煌と縁を結んだ。敦煌がシルクロードの優れた文化が集まる場所であり、東西を往来する文明がここで溶け合い、沈殿(ちんでん)し東にある日本に伝わることに気付いた後、平山氏はシルクロードの東区間の日本文化と敦煌の間の淵源(えんげん)に注目し始めた。長年にわたりシルクロード沿線の歴史遺跡を実地調査する過程で、彼は「文化財赤十字」の思想を提起し、シルクロードの文化遺産の保護と救出に努めてきた。

 平山氏は生涯で約40回敦煌を訪れ、敦煌のために人材を育成し、資金を集め、敦煌文化の発揚に重要な役割を果たした。

 1980年代初め、平山氏の推進により、中国敦煌研究院と日本の東京文化財研究所は莫高窟の科学的保護を開始した。双方はこれまでに4回の重要な協力保護協定を締結し、一連の洞窟調査、「敦煌莫高窟壁画修復文書管理システム」の開発とデータベースの作成、「中日英壁画修復用語集」の編纂作業などを進めてきた。

 1988年、平山氏は当時の竹下登(Noboru Takeshita)首相の敦煌訪問に同行し、「敦煌石窟保護研究陳列センター」の建設に10億円の日本政府の無償援助の提供を促した。同センターは現在、敦煌の芸術文化を国内外に発信・展示する窓口となっている。1989年、平山氏は個展の全ての収益金2億円を敦煌研究院により設立した「平山郁夫敦煌学術基金」に寄付した。同基金はその後「中国敦煌石窟保護研究基金会」に拡大・変身した。

 敦煌研究院の婁婕(Lou Jie)研究員は、平山氏の「敦煌との縁」に込められた平和友好の願いと共通の文化的価値観は、中日の代々の友人たちがシルクロード文化財を保護・発揚することを導いているとみている。今回の展覧会では、日本側のチームが検疫と長期間の隔離のプレッシャーを乗り越えはるばる敦煌にやって来た。両国の出展者は手を携えて特別な時期にあらゆる障害を乗り越える友情を表現しようと努力した。

 中日両国の文化交流にとって、民間交流が生み出す力は控えめで潜在的なものだ。今、平山氏が昔まいた種が実を結び、敦煌研究者の積極的な推進の下、敦煌文化は再び輝きを取り戻している。(c)CNS/JCM/AFPBB News