【2月7日 CNS】2008年から2022年へ、夏季開催から冬季開催へ、そして、「鳥の巣」から再び「鳥の巣」へ――聖火が時空を超えて見つめ合う中、北京は世界初の「ダブル・オリンピック・シティー」となった。

 1979年、中国が国際オリンピック委員会(IOC)に復帰した時期は、ちょうど改革開放期が始まりを告げる時期にあたり、新中国のオリンピックに関する奮闘史も、中国改革開放の重要な一部であった。1980年代から1990年代にかけてのオリンピックへの参加は、世界に向けて中国をアピールし、中国人としての自信を深める重要な舞台となった。

 中国の総合的な国力が全面的に高まる中、オリンピック誘致の成功は、中国の更なる発展の一里塚となり、中国と世界が未来に向けた架け橋を築く出来事となった。

 2001年の北京夏季オリンピック誘致の成功から2008年夏季オリンピックの開催成功に至るまでの7年間、北京は毎日のように変化を遂げていた。インフラから都市環境に至るまで、会場建設から道路交通に至るまで、通信システムから空気の質に至るまで、専門的かつ心のこもったサービスから、より穏やかで包容的な心構えに至るまで…北京は六朝の古都としての魅力を保ちながら、国際的な大都市へと華やかな変貌を遂げた。

 世界中の40億人以上の視聴者がテレビの生中継を通して、中国に対する認識の不足を実感し、かつては神秘的な印象を持たれていたこの東洋の大国にあるのは、「カンフー」や「グルメ」だけではないということが驚嘆とともに受け入れられたのである。

 そして、2022年を迎え、オリンピックと中国は、まさに水と乳のように溶けあった様相を呈している。「中国が16日間の時間を得ることができれば、世界に5000年の時間を返そう」オリンピックは、中国に大きな影響を与えていると同時に、中国もまたオリンピック精神と文化的要素を豊かにし、世界におけるオリンピック運動の均衡的かつ持続可能な発展に多大な貢献を果たしている。

 2008年の北京オリンピックについて言えば、未来はすでに到来していたのである。オリンピックの誘致成功以降の発展の盛況、そして、達成が進むスポーツ強国実現の夢は、まさに人々が当初から望んでいた未来であった。

 中国は、北京夏季オリンピックの開催成功を記念するため、2009年から、8月8日を「全民健身日(ナショナル・フィットネス・デー)」と定めた。そして、スポーツと健康が国家の遺伝子に刻まれることを目指し、更に人々のライフスタイルを変化させようとしてきた。

 2015年には、北京が2022年冬季オリンピックの招致に成功し、その以前、中国においては、3分の1近くの氷雪スポーツが発展途上にあった。2015年から、マイナースポーツのナショナルチームが20チーム以上新たに結成され、これは冬季オリンピック参加への新たな道筋をつける出来事となった。現在、北京冬季オリンピックにおいては、主要7競技と附属15競技のフルカバーが実現し、中国の氷雪スポーツはかつてない発展の好機を迎えている。

 2021年10月までに、中国は「3億人を氷雪スポーツに参加させる」という目標を実現し、氷雪スポーツの競技者人口は、3億4600万人に達している。

 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ(Thomas Bach)会長は、このようなビジョンは中国でしか実現することができないと指摘し、「新しい時代が切り開かれた」と称賛した。また、今回の大会により、世界各国におけるウインタースポーツの状況を変化させ、ウインタースポーツ産業の発展への期待を述べた。

 この青写真においては、冬季オリンピックもまた、競技スポーツの範疇を大きく超えている。張家口市(Zhangjiakou)が開催都市に選出されて以来、北京市・天津市(Tianjin)・河北省(Hebei)の共同発展は、実現のための要となってきた。中国が第二の百年の奮闘目標に向けて、新たな征途に上らんとしている中、氷雪スポーツの飛躍は、質の高い国家発展にとって重要な一部となっている。

 オリンピックは、中国を変革させるものであり、中国を必要としている。世界初の「ダブル・オリンピック・シティー」として、北京は世界に属しているのだと言えよう。2022年北京冬季オリンピック競技大会が開幕し、中国は世界と「共に未来へ邁進しよう」と記している。(c)CNS/JCM/AFPBB News