【1月27日 東方新報】中国・山西省(Shanxi)霍州市(Huozhou)で一部が土砂に埋まっていた唐代(618~907年)の千仏崖摩崖(まがい)が、長い時を超えて姿を現した。

 霍州市の南西7キロにある汾河(Fen River)東岸の切り立った崖に彫られた石窟で、長さは30メートル、最上部の高さ11メートル。山西省考古学研究院が北京大学(Peking University)、霍州市文化観光局と合同で発掘した。

 今回の発掘で千仏崖の約3分の1が姿を現し、像を納めた壁面のくぼみ「龕(がん)」が約70か所、仏像など約300体が確認された。高さ6メートルの坐仏像もある。唐の玄宗時代の開元五年(717年)と天宝三年(744年)、穆宗時代の長慶二年(822)などの年号が刻まれている。

 山西省考古学研究院の白曙璋(Bai Shuzhang)研究員によると、千仏崖は7世紀半ば以降の高宗~則天武后(武則天)期に造営が始まり、政治が安定した「開元の治」として知られる玄宗の開元年間(713~741年)以降に盛んになった。像は一般的な「一仏二菩薩(ぼさつ)」「一仏二菩薩二弟子」という組み合わせが多く、精細な造形という。

「一仏二菩薩二弟子」の様式は甘粛省(Gansu)敦煌市(Dunhuang)にある世界遺産・莫高窟(ばっこうくつ、Mogao Caves)などでも見られる。

 霍州市の千仏崖では、頭部に11の顔を持つ十一面観音像が5体見つかっている。中国史上唯一の女帝、則天武后の時期から十一面観音の信仰が盛んとなり、唐代から大量の像が出現している。十一面観音はあらゆる方向に顔を向け、すべての人を救済するとして、日本でも数多くの像が造られている。

 白曙璋さんは「この千仏崖摩崖は山西省の重要な歴史遺跡であると同時に、唐の最盛期から後期にかけた造像様式の変遷や他の遺跡との関連を研究する上で重要な史料になる」と話している。

 千仏崖は四川省(Sichuan)広元市(Guangyuan)や山東省(Shandong)済南市(Jinan)などにもあり、観光名所になっている。(c)東方新報/AFPBB News