■サバイバルモード

 近くで診療所を営む心理療法士のロニー・メカタフ(Rony Mecattaf)さん(59)は、1年で3回の手術を受け、右目の視力喪失に適応しつつあると語った。今では見えない部分を補うために、テーブルではいつも角に座り、道は左側を歩いている。

 メカタフさんは「幻想が崩れていった1年」だったように感じると話す。「驚くほどの幻想を誰もが抱いていたのです。人生を楽しむことができる国だと、それを可能にする受容力があると、私たちは常に誇りに思ってきました」。だが「そのすべてが粉々になってしまった」と言う。

 後に残されたのは、集団的トラウマと、混迷を極めるばかりのこの国の中で癒やされる場所がないという現実だ。「私たちは皆、サバイバルモードに入っています」

■こんなにも悲しいわが家

 歌手のジュリア・サブラ(Julia Sabra)さん(28)は、被害の大きかったマーミカエル(Mar Mikhael)地区にあるアパートの屋上で、家にいても安心できないと語った。「ボーイフレンドが床に倒れていて意識がなく、顔や脚は血まみれでした」と爆発当時を振り返る。

 5か月後、改修されたアパートに戻ってきたが、2人とも「ドアが閉まる音、嵐や強風の音、階段から何かが落ちた音…あらゆる音におびえています」とサブラさんは話した。

 1年の節目が近づくにつれ、サブラさんは「怒りと絶望」を感じることが多くなったと言う。「気の休まる時がありません…爆発のトラウマや傷を癒やそうとしているのですが、毎日あらゆるものが不足していて、それもどうにかしなければなりません」

 7月、サブラさんのバンド「ポストカーズ(Postcards)」は、レバノンの大規模サマーフェス「バールベック・フェスティバル(Baalbek Festival)」に出演した。演奏した曲の中には、ベイルートの爆発をテーマにした曲もあった。英詩人フィリップ・ラーキン(Philip Larkin)の詩にちなんだ曲のタイトルは「こんなにも悲しいわが家(Home is so Sad)」だった。(c)AFP/Hashem Osseiran