■常に警戒する生活

 反軍事政権デモがミャンマー全土に広がり、数十万人が街頭に立つようになったが、医療従事者は当初からそうしたデモに参加してきた。

 3月になる頃には軍の弾圧も残忍さを増し、コーコーさんも市民に応急手当てのやり方を教えるようになっていた。

 しかし、仮設の外傷センターへの家宅捜索が増え、医療従事者の大量逮捕が続き、いよいよ危険を感じるようになった。

「当局に見つかったら、家族がどんな目に遭わされるか」と思ったとコーコーさんは振り返る。

 国軍記念日(Armed Forced Day)の3月27日、弾圧による全国の死者は100人を超え、クーデター後最多となった。その2日後、コーコーさんは妻と両親の元を離れることを決意した。

 2週間にわたり、人目を避けてあちこちの家を渡り歩いた後、タイ国境近くの反政府民族組織の支配領域に逃げ込んだ。

 常に警戒し、足の付かないプリペイド式の携帯電話を持ち、フェイスブック(Facebook)には偽のアカウントを作った。当局に呼び止められた時の対策だ。

「家の前で車が止まった音や、大声がしたら、必ず外に出て行って確認します」とAFPに語った。

 現在は、他の医師らと仮設の病院を立ち上げるため、物資を調達しているという。