福島原発事故から10年 被災教会の復興祈る「流浪」の牧師
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■「神様、なんでですか?」
「かばんに(ペットボトルの)水2〜3本と聖書を(入れて)持って避難しました」と将司牧師はAFPに語った。
地域を離れながら、これは「神様が与えた試練だ」と感じていた。「神様、なんでですか? これにどういう意味があるんですか? これからどうなるんですか?」と問い掛けることしかできなかったと話す。
被災後、教会員の多くは共に避難することを選んだ。
彰牧師は一行と合流し、流浪の旅を約1年続けた。福島県西部の会津から山形県に移動し、その後、東京の奥多摩まで南下。最終的に、福島県いわき市の泉町にたどり着いた。
終着点は、最初にいた大熊町の教会から50キロほどの距離だったが、そこにたどり着くまでの移動距離は700キロ以上に及んでいた。
教会員のうち、1人は津波で命を落とし、数人が避難後に亡くなった。避難生活中、福島出身というだけで「放射能がうつる」と言われ、差別を受けた人もいた。
教会員の持立春美(Harumi Mottate)さん(83)は、この時期は「試練」だったと振り返る。自衛隊のトラックで避難した。「本当に目まぐるしい一年でした」とAFPに語った。
「突然、大熊での生活が奪われました」と話し、「信仰がなかったら(中略)恨んだりしたと思います」と続けた。
日本の人口約1億2600万人のうち、キリスト教信者の占める割合は1.5%程度。日本人のほとんどは神道と仏教を併せて信仰の対象に取り入れている。
福島第一聖書バプテスト教会の歴史は1947年にさかのぼる。米国人のバプテスト宣教師が現在の大熊町に移住して、小規模な会衆を組織した。
原発事故後、離散していた教会員が、いわき市泉町の新しい教会で初めて礼拝を行ったのが2013年。現在では新しい教会員も加わっている。
比留間博(Hiroshi Hiruma)さん(84)は、双葉郡富岡町にある汚染された自宅を解体し避難を余儀なくされた。その後泉町へ移り住み、福島第一聖書バプテスト教会に通う日々を送っている。
「富岡は最後の場所だと思っていたけど、もう戻る場所がない」と言う。「戻りたくても、戻れない」