過去の苦い記憶 日本のワクチン展開の影響を懸念
このニュースをシェア
■信頼の喪失
古くは1970年代、天然痘ワクチンの副反応やその他ワクチンをめぐり政府相手に集団訴訟が起きた。
さらに、ジフテリア、百日ぜき、破傷風(DPT)の三種混合ワクチンの副反応が問題になったこと、また投与後に2人が死亡したことで接種は一時中断された。数か月後、接種年齢を引き上げるなどして再開されたが、信頼は回復しなかった。
1980年代末から90年代初頭にかけ、はしか、おたふくかぜ、風疹の新三種混合(MMR)ワクチンを受けた子どもたちに無菌性髄膜炎の副反応が報告され、予防接種騒動が再燃。同ワクチンは中止となった。
重要な転機となったのは集団訴訟における1992年の東京高裁判決だ。北里生命科学研究所(Kitasato Institute for Life Sciences)の中山哲夫(Tetsuo Nakayama)特任教授(臨床ウイルス学)によると、科学的な根拠がないような現象も副反応と認めるという判決だった。
「訴訟をいろいろ抱えた後、ワクチンを積極的にやろうとして何かがあったら訴えられる」と国は考えたのだろう、と中山教授は話す。
「ワクチンを打つと、いろんなことが起きるのでは」と思われてきたと教授は付け加えた。日本のワクチン制度は「結果15年、20年、何も進まなかった」。
一方で、医師たちによるワクチンへの信頼を築く草の根レベルの活動が進められた。その成果の一つはヒブワクチンの普及だ。ヘモフィルスインフルエンザ菌b型(Hib)による乳幼児の細菌性髄膜炎を予防するものだ。
欧米から20年ほど遅れたものの、小児科医が認可を求める声を上げ、ヒブワクチンは2008年に導入。日本のワクチン制度は方向が変わり始めたと中山教授は述べた。
それもつかの間、2013年にはヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン接種後の体調不良をめぐってマスコミ報道が過熱した。その後、政府はHPVワクチンを公費で受けられる定期接種に残したものの、対象者へ自治体が接種を案内する積極的勧奨を中止。その後の追跡調査で因果関係は証明されなかった。