【12月14日 AFP】ブラジル音楽ボサノバの生みの親である2人、アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)とヴィニシウス・ヂ・モライス(Vinicius de Moraes)が初めて出会ったのは1956年、リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)のバー、「カザ・ビラリーノ(Casa Villarino)」だった。

 その日から始まった2人の友情は、音楽史を変えることになる。ピアノ弾きだったジョビンと詩人のモライスは、サンバを作り変え、モダンさやクールさの代名詞となる滑らかでしなやかな新ジャンルを世界にもたらした。そして、カザ・ビラリーノの名を歴史に刻んだ。

 しかし64年を経て、リオ中心部にあるこの象徴的なレストランバーは、新型コロナウイルス・パンデミック(世界的な大流行)の最新の犠牲となり、この11月に閉店された。

 ブラジルは新型コロナによる死者数が米国に次いで世界で2番目に多く、約18万人が犠牲になっている。リオ中心部のビジネス街は、在宅勤務に切り替わっているため、事務所がほとんど空になっている。

 カザ・ビラリーノでモライスは、若きアントニオ・カルロス・ジョビンを紹介された。モライスは間もなく自らの作品で、後にアカデミー賞を受賞した映画『黒いオルフェ(Black Orpheus)』の原作となる詩劇「聖母懐胎祭のオルフェ(Orfeu da Conceicao)」の作曲をジョビンに依頼した。

 2人は共同で「イパネマの娘(The Girl from Ipanema)」「ア・フェリシダージ(A Felicidade)」「あなたを愛してしまう(Eu Sei Que Vou Te Amar)」など、ボサノバの名曲をいくつも生み出した。(c)AFP/Eugenia LOGIURATTO