【12月13日 AFP】始まってから5週間がたったエチオピア北部ティグレ(Tigray)州の紛争から逃れた多数の避難者の中には、世界有数の独裁国家に数えられるエリトリア出身の男性や女性、子どもたちがわずかに含まれている。

 これらのエリトリア人たちはこれまで、ティグレ州で難民として暮らしていた。紛争や抑圧が長年続いたエリトリアの人々にとって、ティグレ州は長い間安全な避難場所だった。

 しかし、エチオピアのアビー・アハメド(Abiy Ahmed)政権がティグレ州政府与党「ティグレ人民解放戦線(TPLF)」に対し軍事作戦を開始すると、エリトリア人の難民キャンプ周辺では衝突が激化。難民たちが抱いていた安全という幻想は打ち砕かれた。

 エチオピアとエリトリアは長きにわたり、公式には戦争状態にあった。

 アビー氏は、2018年に首相に就任後、長年続いたTPLFのエチオピア政界支配に終止符を打った。TPLFはエリトリアのイサイアス・アフウェルキ(Isaias Afwerki)大統領の宿敵で、同大統領とアビー氏は同年、両国の紛争終結を盛り込んだ歴史的な和平合意に署名した。アビー氏はこの合意を受け、ノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受賞している。

 同盟関係が劇的に変化したことを受け、アビー首相は11月4日にティグレ州で軍事作戦を開始。エチオピアで長年にわたり保護されてきたエリトリア人たちは、この戦闘で標的になったとみられる。

 以降、スーダンに逃れることのできたエリトリア難民はわずかしかいない。ティグレ州にある難民キャンプ4か所には、約9万6000人のエリトリア難民が暮らしている。

 国連(UN)は、今もティグレ州にいる難民たちの安全に懸念を示している。(c)AFP/Serene ASSIR