【9月30日 AFP】11月の米大統領選に向けたドナルド・ドランプ(Donald Trump)米大統領(共和党)とジョー・バイデン(Joe Biden)前副大統領(民主党)による最初のテレビ討論会が、9月29日に行われる。10月15日と22日にはそれぞれ第2回、第3回が予定されている。

 米国の歴史において最も重要な討論のいくつかを、以下に紹介する。

※以降、肩書はすべて当時のもの

■ケネディ対ニクソン(1960年9月26日)

 すべてはここから始まった。ちょうど60年前のシカゴ、当時はあまり知られていなかったマサチューセッツ州選出の上院議員と現職のリチャード・ニクソン(Richard Nixon)副大統領が、史上初となるテレビ討論会に出演するため、スタジオの照明の下に腰を下ろした。

 若いジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)に勝ち目はないとみられていたが、彼こそが時代の寵児(ちょうじ)であることが、そこで明らかとなった。

 ケネディの容姿がテレビ映えした一方、ニクソンはひどく汗をかき、具合も悪そうに見えた。ニクソンは討論の前に入院していて、撮影時にはメーキャップを拒んでいた。

 ケネディの勝利により、討論会での勝利が、想像以上に重要であることがはっきりとしたのだ。

■カーター対フォード(1976年10月6日)

 ケネディが討論会での良いパフォーマンスの結果を示したとすれば、ジェラルド・フォード(Gerald Ford)は失敗の結果を示したということになる。

 アル・ゴア(Al Gore)氏がジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)氏との討論で繰り返しため息をつき、世論の反発を招いたことは有名だ。またブッシュ氏の父、故ジョージ・H・W・ブッシュ(George H.W. Bush)氏はビル・クリントン(Bill Clinton)氏との討論会で、自分の腕時計を見続けたために無関心だと映った。しかし、どちらも大した問題にはならなかった。

 だがフォードの場合、1976年のジミー・カーター(Jimmy Carter)ジョージア州知事との討論会の失言が、大統領選での敗北につながったのかもしれない。

 フォードは米大統領として1年前に(欧州の国境不可侵、人権尊重などを掲げた)ヘルシンキ合意(Helsinki Accords)に署名していたが、討論の議題が欧州に対するソビエト連邦の動きに移ると、不可解なことに「東欧に対するソビエトの支配はない」と言い切った。

 驚いた司会者が割って入り、真意をただしたが、フォードは非を認めず、発言を撤回することもしなかった。

 当時の世論調査によると、実は総合的にはフォードの方が討論会で大変優勢で、カーター氏との支持率の差を討論会前の20ポイントから6ポイントまで縮めている。失言がなければカーター氏を抜き、選挙に勝利していたかもしれない。

■トランプ対クリントン(2016年10月19日)

 前回の大統領選、トランプ氏はヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)氏との最後の討論会において、米国政治のしきたりに対する前代未聞の攻撃を仕掛けた。クリントン氏が本選で勝利した場合の結果受け入れについて、明確な回答を拒んだのだ。

 これに対しクリントン氏は、240年に及ぶ米国の民主主義への攻撃であり「がくぜんとした」と述べ、民主党大統領候補の座を争ったバーニー・サンダース(Bernie Sanders)氏の発言を引用し、トランプ氏を「米近代史上最も危険な大統領候補」だと評した。

 バイデン氏が対立候補となる今年、トランプ氏は「選挙で不正を行う」たくらみが進んでいるとの主張を繰り返している。また、選挙結果を受け入れるかとの問いに対しては「まだ分からない」と述べている。

■リンカーン対ダグラス(1858年)

 150年もの間、エーブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)とスティーブン・ダグラス(Stephen Douglas)による7回にわたる討論会は、本当の政治演説とは何かを表す見本であった。

 奴隷制、戦争、道徳に言及しながら、まずそれぞれが1時間の演説を行う。そして90分にわたる反論があり、それに30分かけて答える──。コマーシャルによる中断が多い現在のものと比べ、良い意味でソクラテス式問答法的である。

 実はリンカーンとダグラスの討論は大統領選の討論会ではなく、2人が争っていたのはイリノイ州の上院議員の議席だった。

 そして候補者1人に3時間もかかる討論は、ゴールデンタイムのテレビにはちょっと不向きなものでもあった。(c)AFP/Andrew BEATTY