【6月30日 東方新報】「中国最初の王朝」とされる夏王朝の実像を研究するため、中国社会科学院考古研究所と河南省(Henan)洛陽市(Luoyang)は13日、「早期中国研究センター」の設立を発表した。夏王朝の都市とみられる紀元前1800~1500年ごろの「二里頭遺跡」を国内外の専門学者が徹底調査し、夏王朝が誕生した時期や領域、統治機構、文化などを浮かび上がらせる。

 夏王朝は、司馬遷(Sima Qian)の「史記」などに記された中国最古の王朝。夏の次の王朝・殷は甲骨文の発見により実在が証明されたが、夏は考古学上の発見がなく伝説とされてきた。近年の考古学調査によって実在した可能性が高まっており、中国では夏王朝は存在したとの見解が出されている。

 その大きな根拠となるのが、洛陽市二里頭村で発見された二里頭遺跡だ。1959年の発見以来、社会科学院考古研究所が中心となって発掘調査を続けている。新石器時代末期から青銅器時代にかけた遺跡で、文字史料は見つかっていないが、科学的調査で殷の時代よりさかのぼることが判明している。青銅器やトルコ石の製造工房跡や、祭祀(さいし)に関する遺構、住居・宮殿跡が見つかっている。遺跡は2キロ四方の広さで、粟(あわ)や小麦、水稲を栽培した跡があり、ある程度気候に左右されず食料が安定供給されていたと推測される。掘り出された住居の跡から最大時の人口は2万人以上とみられ、当時としては世界有数の都市だった。

 宮殿は回廊や中庭、正殿(せいでん)を配しており、後の歴代王朝の宮殿構造に似ている。紀元前1700年ごろとみられる貴族の墓からは、多数のトルコ石で竜をかたどった杖(つえ)の副葬品が見つかっている。中国で竜は王の権威の象徴。二里頭遺跡が、後の中国王朝のルーツとなったことが浮かんでくる。

 二里頭遺跡と時代や構造が似ている遺跡は河南省各地にあり、「二里頭文化」と総称されている。社会科学院考古研究所二里頭研究チーム代表の趙海濤(Zhao Haitao)氏は「二里頭文化は、中国と東アジア地域で最も早い中核的文化だ。その中でも二里頭遺跡は夏王朝文明の起源として、国家の成り立ちや王宮制度の確立など重要なテーマを調査できる」と力説する。

 中国では急激な経済発展に伴い、国民の間で祖先の生活や歴史を探りたいという関心が高まっている。生活に余裕が生まれて知的好奇心が高まっている面と、劇的に生活が変化していく日々の中で古代のロマンに思いをはせるという面もある。中国文明の起源がどこまで解明されるか、今後も注目を集めていきそうだ。(c)東方新報/AFPBB News