【5月12日 東方新報】中国・四川省(Sichuan)眉山市(Meishan)彭山区(Pengshan)江口鎮(Jiangkou)を流れる岷江(Min River)の川底から見つかった、17世紀のものとみられる重さ8キロ、金含有量95%の金印「蜀世子宝(蜀王の太子の宝)」(蜀は四川省地域の旧称)。中国で長らくミステリーとされてきた「伝説の川底の財宝」は、数年前に別の金印が800万元(約1億2100万円)で闇売買されたことなどから発覚。今回、王の世継ぎが使う金印が中国で初めて見つかったことで、歴史ファンの間で新たなロマンを呼んでいる。

 明朝末期の農民反乱軍の指導者だった張献忠(Zhang Xianzhong)は、四川省を支配し、大西王を名乗った。1646年、部隊を率いて成都(Chengdu)から岷江沿いに南下する際、江口鎮付近で明軍に襲撃され、大量の財宝が船ごと沈んだという記録が残っている。江口鎮一帯ではその後、財宝が川底に眠っているという童謡が歌い継がれていた。

 明朝や農民軍を滅ぼした清朝の皇帝は、財宝を捜すため何度も岷江の川底を調べ、中華民国の時代も調査が行われたが、財宝の存在はミステリーのままだった。

 2014年、警察に「盗掘団が川底の財宝を掘り出して売買している」という通報があった。1年に及ぶ内偵捜査の結果、複数の盗掘団と売買団を摘発。盗掘品の中には虎の飾りがついた金印「永昌大元帥」があり、800万元の大金で売買されていた。

 この事件後、2017年から公式の調査が始まったことで「張献忠の財宝」の伝説が実証された。第3期調査となる今回は1月10日から4月28日まで行われ、「蜀世子宝」の金印のほか大量の金銀の器、貨幣、装飾品が見つかった。川底の地形をコンピューターで調査して財宝のありかに目星をつけた上で調査しており、中国メディアは「川底のCTスキャンの成果」と報じている。

 張献忠は、四川省一帯を支配していた当時、自分の家族や部下も含めて恐ろしいほどの大量虐殺を行った。「あいつらを収拾(整理)しろ」と命じては、推定人口400万人のうち300万人を惨殺したとも、昔ながらの住民を根絶やしにしたともいわれ、多くの四川独自の文化や言語が消滅したという。後に支配した満州族の清朝政権が蛮行を誇張したともいわれるが、張献忠による大量虐殺は四川省で布教していた当時のイタリア人宣教師らも記録に残している。

 住民の命や文化を根絶やしにした張献忠が、中国史上でも貴重な金印を現代に残したというのは、何ともいえない皮肉な話でもある。(c)東方新報/AFPBB News