【6月25日 東方新報】古代中国で群雄が競い合った「三国志」の中で、武将の関羽(Guan Yu)は日本でもファンが多いが、中国ではその人気はさらに絶大だ。「武神」として、さらに「商売の神」として信仰の対象となっている。

 中国では農暦(中国の旧暦)の5月13日(今年は7月3日)、関羽をたたえる「関公磨刀祭」という伝統行事が各地で行われる。関羽の誕生日は伝わっていないが、この日が関羽の誕生日とされ、明の時代には皇帝が正式に5月13日を誕生日と定めている(誕生日は他の日の説もある)。また、祭りの由来は、五穀豊穣(ほうじょう)を願う農村の習慣と合体したともいわれる。

 関羽の出身地となる現在の山西省(Shanxi)では、省都の太原市(Taiyuan)に「関帝廟(びょう)」があり、祭りの日は銅鑼(どら)を鳴らして盛大に祝い、関帝廟前には縁日ができる。演劇や大道芸、切り絵、書画、彫刻などの一大文化フェスティバルが行われる。

 主君であり義兄弟でもある劉備に忠義を尽くし、非業の死を遂げた関羽は「義絶(この上なく義を重んじる人物)」と称されている。唐の時代から朝廷に「忠義の武将」としてたたえられ、さらに時代がくだり宋の時代には「武安王」の称号を与えられ、明の時代にはついに「関聖大帝」とあがめられる。いずれの世でも、大規模な内乱や北方民族の圧迫で国力が衰えた時期や、建国したばかりの時期に関羽が「忠義の人」として持ち上げられている。時勢に関係なく主君に忠義を尽くす関羽をたたえることで、為政者は統治の手段の一つとしてきた。明を滅ぼして満州族が建国した清の時代でも関羽は祭られ、各地に建てられた関帝廟には皇族を象徴する黄色の瓦を使うことが許された。こうして関羽は「漢民族の英雄」の枠すら超える存在となっていく。

 関羽は劉備に仕える前は、塩商人の用心棒だったといわれる。出身地の河東郡解県(現在の山西省)は塩の名産地で、古くから塩商人が活発に活動していた。商売において最も重要なものは「信用」であり、山西省の塩商人たちは、義を重んじる関羽を自らの神とし、次第に関羽が「商売の神」として広まっていったという。

 清の時代には文武の象徴として各県に必ず孔子廟と関帝廟が建立されたが、孔子廟は中華人民共和国が設立した初期に多数破壊され、一方で関帝廟は各地に多く残った。明の時代に建てられた太原市の関帝廟は一時荒廃し、学校の施設として使われた時期もあったが、今世紀に入り2001年に地元の文化財として編入され、2003年に全面修復された。今では地元の人々にとって、心のよりどころとなっている。

 関羽は民族の垣根を越えた「中国の象徴」として高い人気を保ち続けており、今年も各地の「関公磨刀祭」は大にぎわいとなりそうだ。(c)東方新報/AFPBB News