【5月26日 CNS】中国・山西省(Shanxi)太原市(Taiyuan)教場巷(Jiaochang)22号で、民国初期(1910年代~1920年代)に建てられた日本式住宅が、7年間の修繕を経て一般開放された。この建物は、山西省で鉄道敷設が行われた初期のころ、外国人の技術者や建築家の住まいとして建てられたものだ。

 この100年前の日中合作の建物は、このたび「博物館」へと変身し、実物の復元と展示によって、山西省の鉄道建設初期の状況を再現している。

 教場巷の日本式住宅は、日本庭園と洋館の組み合わせで、100年前の日中合作の芸術的な傑作といわれ、太原市の民国初期における日本式建築の研究にとって、重要な文化財としての価値と歴史的意義がある。09年に太原市人民政府によって歴史的文化財として指定を受け、13年から修復工事を開始、20年に一般開放を再開したものだ。

 この建物は20年の初頭より、太原市「晋祠公園」に管理が移行され、現在、諸方面から民国初期の日本式建築に関する資料を集め研究が進められている。この住宅は日本人設計者の設計によるもので、主としてレンガと木造の構造で作られており屋根から庇(ひさし)にかけての建築構造と配置は日中合作の風格を体現している。

 少し前より、教場巷の日本式住宅では「黒い金の動脈——山西早期の鉄道旧写真展」と名打った展示を行い、一般開放されている。

 清の時代の光緒末期から民国初年にかけて、当地の石炭を外地に輸送するため、山西では太原市から石家荘市(Shijiazhuang)に至る「正太鉄道」や大同(Datong)から太原を経て運城(Yuncheng)に至る「同蒲鉄道」を相次ぎ建設し、当時まだ鉄道の少なかった中国で鉄道を有する省の一つとなった。30年代の初頭には、山西地区の軍閥だった閻錫山(Yan Xishan)の後押しにより、山西省で大規模な鉄道建設と工場建設が始まる。同蒲鉄道はまさにその一部だった。

 今回の展示会は、このような歴史的背景を基に、実物の復元と展示により、当時の状況が再現されている。図面の設計、工事案の討議、寝室の場景など、同蒲鉄道の建設に携わる技術者らの仕事と生活が復元され、鉄道の駅や橋、軌道などの古い写真などの資料で、正太鉄道と同蒲鉄道の建設の歴史を学ぶことができる。(c)CNS/JCM/AFPBB News