【4月15日 Xinhua News】中国河南省(Henan)済源市(Jiyuan)で実施されている柴荘遺跡の発掘調査で、大量の墓葬と商(殷)代(紀元前17世紀~同11世紀)末期の祭祀(さいし)遺構が見つかった。商周時代の社会形態と礼制の変遷を知る実物資料となる。なかでも独特のいけにえの習慣が学界の注目を集めている。

 発掘調査の責任者、梁法偉(Liang Fawei)氏は「人骨は保存状態が良く、甲骨文字の『坎』の字に似せて埋葬されていた。ひざまずいた姿勢かつ甲骨文字の字形に対比させたいけにえは極めて珍しい」と語った。

 人骨は体と首が別々で、北側を向き両膝をついてひざまずき、両手を体の前で交差させていた。梁氏は、殷墟(河南省安陽市)で出土した甲骨文から商代に祭祀文化が盛んだったことが分かっていると説明。先人らは「社」「示」「壇」「坎」などの象形文字を用いてさまざまな祭祀活動を記述していたとし、なかでも「坎」は人や家畜を穴に埋める祭祀方式を表していると述べた。

 考古学調査でこれまで発見された人のいけにえは、多くが横たわった姿勢だった。専門家は「坎」の字の祭祀方式が考古学調査で見つかった例は極めて少ないとしながらも、甲骨文の記述と照合できる以上、当時は一般的だったかもしれないと推測する。

 柴荘遺跡がある地域は商王朝の晋南(山西省南部)統治の要所であり、文献には周の武王が商を討伐した際の「必経の地」と記載されている。軹関陘(しかんけい)と呼ばれる交通の難所の東端に位置し、北に太行山、南に黄河があることから、地理的に重要であることが分かる。

 河南省文物考古研究院と済源市文物作業チームからなる合同考古発掘チームは2019年以降、国家文物局の承認を得てインフラ整備に合わせた考古学調査を実施。6千平方メートルの範囲を発掘した。

 梁氏は「遺跡からは整然と並んだ商代末期の高位貴族の墓葬や祭祀坑、版築の基礎、精巧に掘られた井戸などが見つかった。当時地域の中心的な集落だったことを示している」と述べる一方、盗掘がひどく、集落が属する氏族を示す実物資料が見つかっていないことは残念だと語った。

 遺跡では現在も考古スタッフによる総合的な発掘と分析が進む。遺跡の分布・配置と陶器や石器、骨器・蚌器(大型の貝殻から作られた道具)、玉器・原始磁器、卜骨(占いに使われた動物の骨)などの豊富な出土品を結び付け、集落の基本的な姿を復元している。(c)Xinhua News/AFPBB News