【3月25日 AFP】五輪大会はこれまで、政治的理由によるボイコット(1980年モスクワ五輪)やテロリズム(1972年ミュンヘン五輪)などに見舞われたことはあった。だが過去に中止となったのは、戦争が理由の場合のみだった。

 2020年東京五輪は、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)を受け、遅くとも2021年夏まで延期することが決まった。

 戦争により過去に中止を余儀なくされた五輪──1916年ベルリン、1940年東京、1944年ロンドン──を振り返る。

■1916年ベルリン五輪

 1912年7月4日にスウェーデン・ストックホルムで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会で、ドイツ・ベルリンが第6回大会開催地に選ばれた。

 ドイツは開催準備に全力を傾けた。1913年には西ベルリンの緑豊かなグリューネワルト(Grunewald)に、皇帝ウィルヘルム2世(Wilhelm II)の在位25年を記念する収容人数約3万3000人のスタジアムを開設した。

 ドイツオリンピックスポーツ連盟(DOSB)によると、スタジアム建設に要した日数はわずか200日だった。スタジアムの北側には目玉となる100メートルプールが造られた。

 DOSBの1916年大会史によると、競泳、飛び込み、テニス、ネットボールに女性の参加が初めて認められた大会でもあった。

 1914年6月27日から2日間にわたり、ベルリンのスタジアムでテストイベントが行われた。だが2日目の28日、第1次世界大戦(World War I)の勃発につながるサラエボ(Sarajevo)事件が発生、オーストリア大公フランツ・フェルディナント(Franz Ferdinand)夫妻が暗殺された。

 近代五輪の「父」として知られるピエール・ド・クーベルタン(Pierre de Coubertin)男爵は、開催されなかった1916年ベルリン五輪を第6回大会とすると命じた。

 次の第7回大会は、第1次世界大戦で甚大な被害を被ったベルギーのアントワープで行われることが決まった。開会式では有名な5色の輪が連なった形の五輪マークをシンボルとした旗が初めて掲揚され、平和の使者ハトが空に放たれた。敗戦国のドイツは参加を禁じられた。