番付陥落にホームシック、栃ノ心がたどった苦難の道のり
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■苦難の連続だった相撲キャリア
栃ノ心が相撲の道を志したのは2005年。まだ平幕だった当時24歳の同郷力士、黒海(Kokkai)が横綱の朝青龍(Asashoryu)に初めて土をつけ、相撲界に衝撃をもたらしたのがきっかけだった。
ジュニア時代は柔道の有力選手だった栃ノ心は、それを見てすぐに相撲転向を決め、まずは名門の日本大学(Nihon University)で稽古を積んでから、続々と増える他の外国人と同様に、相撲部屋の門をたたいた。
もっとも、ここまでの道のりは苦難の連続だった。2011年には、着物を着ずに外出したとして、2人の仲間とともに親方にゴルフクラブで殴られる被害に遭った。けがによる休場も多く、関脇陥落後にいったんは大関に復帰したが、負傷休場後に2度目の陥落を味わった。
在京時は、ジョージアの古い多声聖歌を聴いているときや、チーズ入りパンのハチャプリ、鶏肉にクルミソースをかけたサツィヴィといった伝統料理を食べているときに故郷を少し感じるくらいだが、本国での栃ノ心は英雄で、たまの帰国時には多くの人がトビリシの空港で歓迎する。
村でご近所だったという女性は「レヴァニについては良いことしか言えない。小さいときから良い子だった。それが今では、村のみんなが愛する成功者になった」と話している。
母親のヌヌ・マルカラシビリ(Nunu Markarashvili)さんも、今では息子の選んだ独特な道を祝福している。藤棚の陰で、マルカラシビリさんは「すごく誇らしいし、あれだけの成功を収めたのがとてもうれしい。スポーツの世界で、息子はまばゆいスターになった。人間としてもすごく成長した」と話す。
おじのトリスタン・マガラゼ(Tristan Maghradze)さんは「栃ノ心万歳だよ。レヴァニ・ゴルガゼは有名な自慢のおいで、立派な人間だ」と言って涙を流す。
将来については栃ノ心本人もまだ決めていないが、日本国籍を取得して自分の部屋を開くことも、一つの可能性として考えている。夢は「ジョージア出身の力士がたくさん出てくること」だそうだ。(c)AFP