【1月12日 AFP】駅の入り口の看板には「ダカール・ニジェール鉄道(Dakar-Niger Railway)」と書かれている――ここは、乾燥したサヘル(Sahel)地域から約1300キロ離れた熱帯の大西洋へと向かう鉄道の出発点だ。

 しかし、伝説の列車の旅を楽しむことはもうできない。

 マリの首都バマコとセネガルの首都ダカールを結ぶこの鉄道には2018年5月17日以降、一本も列車が走っていない。バマコ駅の線路にはいまや、膝の高さまで雑草が生い茂っている。かつてマリの活力源とまで呼ばれ、みんなに愛された緑色の車両はさびたまま放置され、車内のトイレは物乞いに占拠されている。

 給料は支払われていないものの、厳密に言えば従業員らはまだ雇用されており、今でも植民地時代に造られた駅舎に大勢出勤してくる。トランプをしたり、ベンチでうたた寝したり、がらんとした部屋でおしゃべりをしたりして、何時間も過ごす。

 ここでの話題はいや応なく、栄光の日々の話になっていく。

■栄光の日々

「あれは終わりのないパーティーだった」と、ムサ・ケイタ(Moussa Keita)さんは振り返る。ケイタさんは38年間、運転手の交代が行われるセネガルの国境まで運転していた。

 線路沿いの村々は、海岸から運ばれてくる新鮮な魚や欧州からの貴重な品々、生活に必要な貨物を運んでくる列車の到着を、大歓迎したという。プラットホームは愛する人との再会を喜ぶ家族や、別れを惜しむ人々であふれかえっていた。

 ダカールとバコマを結ぶ鉄道の構想は、フランス植民地時代の19世紀後半に持ち上がった。当時フランス領スーダンと呼ばれていたマリと海岸部を結び、内陸地から貴重な商品を輸送する目的があった。開通したのはそれから25年後の1924年で、鉄道は国の誇りとなった。

 1970年、バマコ駅のカフェテリアが思いがけず、マリのえりすぐりのミュージシャンらによって結成された伝説的バンド「レイル・バンド(Rail Band)」を生み出した。

「すべてはここで始まった!」と、バンドの共同創設者でドラマーのママドゥ・バカヨコ(Mamadou Bakayoko)さんは振り返る。「ここでサリフ・ケイタ(Salif Keita)がマイクを握り、モリ・カンテ(Mory Kante)がバラフォンを演奏していた」