■1000年の歴史

 ホーエンツォレルン家は、ほぼ1000年にわたりドイツの歴史と結びついてきた。同家は1701年にプロイセン王となり、1871年にドイツ皇帝となり、1918年にウィルヘルム2世が強制的に退位させられるまで、ドイツを支配していた。ウィルヘルム2世は第1次世界大戦(World War I)でのドイツ敗戦後、オランダに亡命した。

 ホーエンツォレルン家の財産は当初、金銭的な補償なく没収されたが、1926年に制定された法の下の合意でこの件は解決。同家は補償を受けるとともに、ベルリン周辺、そして遠くはアフリカのナミビアに至る数々の城や別荘などが手元に残ることになった。

 だが再び、第2次世界大戦(World War II)と終戦後のソ連による占領、その後のドイツ民主共和国(東ドイツ)の共産化によって、補償が認められていたホーエンツォレルン家の財産も没収されてしまった。

 ウィルヘルム2世のやしゃごに当たるゲオルク・フリードリヒ・フェルディナント(Georg Friedrich Ferdinand)氏は、ホーエンツォレルン家が旧ソ連圏の崩壊以降、主張しているのは、第1次世界大戦直後に結ばれた合意で付与された財産の返還だと説明する。

 シュピーゲル紙によると、同家はツェツィーリエンホーフ宮殿などの不動産の他、多数の絵画、彫刻、家具、書籍、コインなどの返還を求めているという。これらの大部分は現在、国立のベルリン・ブランデンブルク・プロイセン宮殿庭園財団(Prussian Palaces and Gardens Foundation Berlin-Brandenburg)、プロイセン文化財団(Prussian Cultural Heritage Foundation)、ドイツ歴史博物館(German Historical Museum)が所蔵している。