【10月3日 AFP】米国境に接するメキシコ北部の町ティフアナ(Tijuana)を拠点とするフランス通信(AFP)のギエルモ・アリアス(Guillermo Arias)カメラマンが9月、世界最大級のフォトジャーナリズムの祭典「ビザ・プール・リマージュ(Visa Pour L'Image)」で最高賞を受賞した。

 アリアス氏は、米国に入ろうとする中米の移民の姿を収めた心を打つ写真で、報道写真特集部門の「ビザ・ドール(金賞)」を獲得。とりわけ「偽ニュース」や深刻なメディア不信の時代に、記事をできる限り忠実かつ完全に、またほとんど手を加えずに伝えることの重要性について語った。

 私は、ペルピニャン(Perpignan)の祭典に出席することを何年も待ち望んでいた。この職業において最も権威あるとされる祭典で、最高賞を獲得──しかも自分にとって非常に大事なテーマで──まさしく夢の実現だ。

 私が受賞したのは、中米からメキシコを経由して米国への到着を試みる歴史的な移民集団(キャラバン)を撮影した一連の写真だ。

 私は何年もの間、約束の地、米国に入ろうとする人々を取材してきた。だが、2018年のキャラバンが突出していたのは、移民が自発的に一つの集団を形成したからだ。彼ら移民はあまりに無防備で隙だらけで、とりわけメキシコその他中米諸国の大部分を牛耳っているギャングや犯罪者らにとってはそうだった。女性は4人に1人がレイプの被害者だ。レイプがあまりにも横行しているため、援助団体は望まない妊娠を回避するために、緊急経口避妊薬(モーニングアフターピル)を配布しているほどだ。

 2018年の秋、ホンジュラスのサンペドロスラ(San Pedro Sula)から逃げて来た人々は、世界で最も危険とされる都市を出て、より良い生活が約束された米国に団結して向かうことを決めた。北へ向かうに連れ、どんどん移民が合流した。「移民キャラバン」の誕生だ。

メキシコ・オアハカ州にある一時保護施設で、食料を積んだトラックの後ろを歩くホンジュラスからの移民。米国を目指す移民集団(キャラバン)に加わっている(2018年10月30日撮影)。(c)AFP / Guillermo Arias

 私がこの問題の取材に当たった数年間、危険な旅路をまとまって進む集団をいくつも見た。だが、これほどの人数になったことは今までになかった。10月の終わりには、その数は一部の推定によると7000人までになっていた。

 最も強烈な衝撃を与えた写真は、10月27日にドローンから撮影した1枚だ。

米国を目指してメキシコ南部のアリアガを出発し、サンペドロタパナテペクに向かうホンジュラスからの移民集団(キャラバン)。ドローンで撮影(2018年10月27日撮影)。(c)AFP / Guillermo Arias

 警察が数時間、道路を閉鎖していたため、集団が1か所に集まった。写真は正に、その規模を捉えていた。このような写真が撮れたのは、これが最後だった。ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領が「侵入」について語り始めたのは、この時からだと思う。私がこの写真を撮った時には、彼らはもう三つの国境を越えていた。

 バスケットボールコートの上から、やはりドローンで撮影した写真も、お気に入りの1枚だ。のぞき過ぎることなく、とても近づけた瞬間で、彼らにとっての旅の様子をしっかり伝えている。基本的に彼らは道に沿って歩き、休める場所があれば休んだ。撮影にとって幸いなことに、このバスケットボールコートは覆いがなく、ペンキが塗られがばかりだった。だからここが何の場所かはすぐに分かる。

メキシコ南部オアハカ州サンペドロタパナテペクのバスケットボールコートで休むホンジュラスからの移民。米国を目指す移民集団(キャラバン)に加わっている。ドローンで撮影(2018年10月28日撮影)。(c)AFP / Guillermo Aria

 子どもたちが越境する写真は、心が痛むことが多い。子どもたちがとても怖がっているからだ。この子たちが大きくなったらどう思うか、考えずにはいられない。こんなことを経験させられて、憤慨するだろうか。親たちがなぜこんな危険を冒してまで自分たちをここに連れて来たのかを、理解するだろうか。

メキシコのプラヤスデティフアナと米国を隔てる壁を乗り越えた後、米国境警備隊員を見て泣く、中米からの移民の子ども。プラヤスデティフアナ側から撮影(2018年12月2日撮影)。(c)AFP / Guillermo Aria

「どうしてここに来たの?」。この質問に答えてもらうのは、玉ねぎをむくようなものだ。ほとんどの人は「より良い生活のため」と答える。だが、詳しく聞けば、大半の人は非常に暴力的環境と深刻な脅威から逃げてきたことが分かる。彼らは話し始めると突然、「見ろよ」と言って、シャツをまくり上げる。そこにあるのは銃弾や刃物による傷痕だ。

 そんな会話を少しすれば、この集団の共通項が極端な暴力と貧困であることはかなり明白になる。思い出すのは、ホンジュラス出身の、10代の娘4人を持つある女性のことだ。ある日、地元ギャング団のメンバーの一人が彼女の最年長の娘に目を付けた。女性が国を出る決意をしたのは、その時だ。彼女は私に「娘を全員連れて出なければ、全員をギャングに奪われることになる」と語った。どういう意味なのか、良く分かった。だが、彼女の話を聞きながら、私は「どうやってそれを移民判事に証明できるだろう」と考えていた。

メキシコ・バハカリフォルニア州のティフアナと、米サンディエゴ郡を隔てる国境フェンスを越えた直後に、有刺鉄線で身動きが取れなくなったメキシコからの移民。ティフアナ側から撮影(2018年12月28日撮影)。(c)AFP / Guillermo Aria

 もう1枚、私がとても気に入っているのは、米国旗を身にまとった少年の写真だ。目前の国境警備隊の車両と有刺鉄線、国境の壁を見渡している。この写真は11月25日に撮影したもので、大規模な国境越えの試みが最初に起きた時だった。この日には、多数の印象的な撮影ができた。この写真は一日の終わりに撮ったものだ。本質が詰まっていると思う──君は歓迎されていない、たとえ米国という概念で自らを包んでいたとしても。移民の多数はアメリカンドリームを胸にやって来るが、米国は彼らを欲しくないのだ。

 同時に、彼らが抱くアメリカンドリームは現実を反映していないことが多い。私が住むティフアナには、多くの米国人が、すぐ北にあるサンディエゴ(San Diego)周辺には高くてもはや住めないという理由で移住して来ている。

メキシコ・バハカリフォルニア州ティフアナの米国との国境付近のエルチャパラル国境検問所近くで、米国旗を身にまとい、ほぼ干上がった川床を見る中米からの移民の少年(2018年11月25日撮影)。(c)AFP / Guillermo Aria

 私は仕事をする時、さまざまな感情を抱くことを受け入れている。だが同時に、数歩下がろうともしている。できる限り多くの状況を伝えたいと思うし、それによって私の写真の一枚一枚が、ジグソーパズルのピースのように、取材中の題材に新たなピースを付け加えてくれるのだ。泣いている人は間違いなく強力な絵になるが、それが物語のすべてを語っているとは限らない。

メキシコ・バハカリフォルニア州プラヤスデティフアナで、移民集団(キャラバン)の移民が米サンディエゴ郡に向かい国境フェンスをよじ登る中、本を持って立ちすくむ中米からの移民の少女(2018年12月12日撮影)。(c)AFP / Guillermo Aria

 この危機について過去1年の取材報道では、苦しむ子どもたちの顔写真が数多く出回った。実際には、国境にやって来る子どもたち皆が皆、いつも苦しみ泣いているわけではない。もちろんそのような瞬間はあるが、絶え間なく続くわけではない。私には、そのような写真ばかり撮るのは、このテーマに対して不当であるように思える。彼らを再び犠牲者にしているのだから。

 ペルピニャンの祭典に参加していた時、私の写真にはなぜ暴力がないのかと聞いてきた人がいた。自らの国を去らなければならないことが、既に十分に暴力的であるという単純な事実を話した。私は、物語をありのままに語らなければならないと思う。状況を強調するために使える技はたくさんある。誰かが顔を覆っているところを20センチ離れたところから広角レンズで写せば、ドラマチックな写真を撮ることができるが、必ずしも正しいものではない。いんちきとまでは言わないが、一部のカメラマンが反響を得ようとして使う、ちょっとした技だ。メディア界の人々の行動は、ニュースの状況にしばしば影響を与え得る。

 だから私にとっては、立ち入りすぎずにいられれば、それがいい。とりわけ偽ニュースや、メディアやジャーナリストへの攻撃がある時代にはそうだ。われわれはできる限り、理想的には距離を置いて、完全かつ誠実に伝えなければならない。

 このコラムは、AFPのギエルモ・アリアス(Guillermo Arias)カメラマンが、ミカエラ・キャンセラ・キーファー(Michaela Cancela-Kieffer)記者とともに執筆し、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が翻訳した英文記事を日本語に翻訳したものです。