病気が見つかったきっかけは、会社の健康診断だった。その数か月前から胸が痛くて眠れないなど、何かの病気なのではないかという予感はしていた。しかし、まさか「不治の病」に犯されているとは夢にも思っていなかったという。

 医師は、この種類のがんは発病率がとても低いが、治癒率はもっと低いと言った。それを聞いた丁さんは、「末期なのであと何か月持つかわからない」と感じたという。

 帰宅後に妻に病気のことを告げると、声を上げて泣いた。また、両親に電話で伝えると、受話器の向こうでしばらく押し黙ったままだったという。

 丁さんは、電力自動化会社に勤めるエンジニアだった。妻と娘と家族3人、幸せに暮らしていた。明るい性格で、毎日幼い娘と遊ぶのを生きがいにしていた。

 「がんは事故よりましだよ。少なくとも遺言が残せるじゃないか」。妻がひとしきり泣き終わると、丁さんはにっこり笑って言った。

 しかし、その日の丁さんの日記には「旧暦の秋分というこの日、暑い夏が終わりを告げ、だんだんすがすがしい秋に移り変わり始める。いい気分のはずのこんな日に、神様はとんでもなくひどい冗談を言う。僕の人生は、突然真冬になってしまった」と書かれていた。

 しかし、丁さんが悲観的な気分になり落ち込んだのは、たった1日だけだった。「僕は息子であり、夫であり、父親なんだ。諦めてはいけないと思った」。次の日から丁さんは治療を開始すべく病院を探した。