■各地で進む撤去

 シャーロッツビルとアレクサンドリアの像の撤去をめぐっては裁判所と州議会に留め置かれているが、それ以外の南部連合のモニュメントは、米国の複雑な人種的問題の遺産との対峙(たいじ)を通じて実際に撤去が進められている。

 ノースカロライナ(North Carolina)州ダーラム(Durham)とフロリダ(Florida)州ゲーンズビル(Gainesville)では、14日に南軍兵士の像が撤去され、またケンタッキー(Kentucky)州レキシントン(Lexington)市は、南軍の像を2か所から撤去する計画を12日に発表したばかり。

 他方で、米テネシー(Tennessee)州ナッシュビル(Nashville)では、活動家数十人が州議会議事堂で抗議行動を展開し、南軍中将でクー・クラックス・クラン(KKK)の創立者ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(Nathan Bedford Forrest)の胸像を撤去するよう要求した。

 公民権擁護団体の「南部貧困法律センター(Southern Poverty Law CenterSPLC)」が昨年4月に公開した報告書によると、南部連合を象徴するモニュメントは国内1500か所以上の公有地に置かれており、その大半が南部に位置しているという。その中には記念碑や像が700以上、南部連合の兵士や政治家の名前を付けた公立学校が100校以上ある。

 南部連合の象徴を保存するよう訴える擁護者らは、これらのモニュメントは誇りある南部の遺産を想起させるものであり、それを撤去するのは事実上の歴史の抹殺だと主張する。

 だが、歴史家とSPLCの報告書によると、南部連合の記念碑のほとんどは人種差別のジム・クロウ(Jim Crow)法時代に公民権運動への対抗として建てられたものだという。

 SPLCのリチャード・コーエン(Richard Cohen)氏は、同報告書に付随の声明文の中で、「多くの場合、こうしたモニュメントの真の目的は、歴史の保存ではなかった」と指摘している。