【10月10日 AFP】ボクシング元スーパーライト級世界王者で、殿堂入りも果たしている往年の名ボクサー、アーロン・プライヤー(Aaron Pryor)氏が9日、60歳でこの世を去った。同氏は心臓病を患い、長く闘病生活が続いていた。

 妻のフランキー(Frankie Pryor)さんが声明を発表し、「心が引き裂かれる、悲しいお知らせをしなくてはなりません。本日午前5時57分、みなさんに愛されたアーロンは、家族に囲まれて旅立ちました」とコメントした。

「みなさんには『荒鷲(The Hawk)』として知られるアーロンですが、私たち家族にとっては、愛すべき夫であり、父、祖父、兄弟、おじ、友人でした」

 プライヤー氏は麻薬の使用でたびたびキャリアの危機に陥りながらも、39勝1敗35KOの戦績を残した。キャリアのハイライトはアレクシス・アルゲリョ(Alexis Arguello)との2回のタイトルマッチで、なかでも最初の対戦はボクシング史に残る名勝負として知られている。

 1982年11月12日に米マイアミ(Miami)のオレンジ・ボウル(Orange Bowl)で行われたその試合で、アルゲリョを14回TKOで倒したプライヤー氏は、WBAスーパーライト級のタイトルを防衛した。

 両者は1983年9月9日に再び拳を交え、プライヤー氏が10回KOでまたしてもアルゲリョから勝利を収めている。この試合後に引退を表明したプライヤー氏だが、その9か月後に現役へ復帰。そこから判定勝ちを収めたゲイリー・ヒントン(Gary Hinton)戦まで王座を防衛した。

 しかし、その後は再び薬物使用が止まらなくなり、試合ができる状態ではなくなったことで、王座をはく奪された。2年半近くが経った1987年8月に再び現役に復帰したものの、ベテランのボビー・ジョー・ヤング(Bobby Joe Young)相手に7回TKO負けを喫し、1990年には完全に現役のリングを離れた。

 プライヤー氏の死には、同じく殿堂入りを果たしている元ボクサーからも哀悼の声が寄せられ、なかでもシュガー・レイ・レナード(Sugar Ray Leonard)氏はツイッター(Twitter)にこう投稿している。

「わが友人にして、多くのボクシングファンのヒーローが逝ってしまった!チャンピオンよ、安らかに。みなが君の死を悼むだろう。愛している」

(c)AFP