■見えなくても「感じる」

 10日に行われた男子90キロ級で銅メダルを獲得した米国代表のダータニヨン・クロケット(Dartanyon Crockett)選手(25)が柔道を始めたのは高校を卒業してからだ。投げ技や固め技をかけられる柔道は、生まれつき目の不自由な若者にとって簡単なスポーツではなかった。

「視覚障害者にとって柔道は、恐ろしく、不安な状況に自分を追い込むようなもの」とクロケット選手は言う。「安全と感じる領域の外へ出ていくことなんだ」

 パラリンピックの柔道と健常者の柔道との最大の違いは、試合中、常に選手が組み合っている点だろう。健常者の試合では選手は組んでは離れてを繰り返すが、視覚障害者の試合では互いに相手をつかんだ状態が続く。

 北京(Beijing)で金メダル、リオで銅メダルを獲得した女子70キロ級のベネズエラ代表、ナオミ・ソアソ(Naomi Soazo)選手は、試合は組み合うところから始まると説明する。そして「組むと相手の動きを感じとれる。直感と感覚で相手がどう動くかわかる」と続けた。

 ソアソ選手は、同じ階級の健常者の選手と組むこともあるが「何も変わりはない」と話す。そして、この自信はマットの外の世界にまで広がっている。

 ガルシア選手は、柔道を習得したことで人生における闘いの勝利にもつながっているという。

「目が見えないことが不利だとは思わない」とガルシア選手は誇らしげに語る。「それは単にキャラクターの一つ。女性で、黒髪で、カップケーキが好きで、盲目。それが私です」

(c)AFP/Sebastian Smith