【4月6日 AFP】彼女の目は何も見えていない──だが、バーバラ・アペルさんはピカソ(Picasso)の彫刻の顔に指をなぞらせて、ニューヨーク近代美術館(Museum of Modern ArtMoMA)で満足のため息をついた。

 大半の人々は展示を見るために美術館を訪れる。だが、MoMAを訪れる一部の人にとっては文字通り、芸術への「愛は盲目」だ。

 毎月、さまざまな度合いの視覚障害がある人の少人数のグループが、ニューヨーク・マンハッタン(Manhattan)にある名高い美術館を専門のガイドと共に巡っている。

 10年ほど前に突然視力を失った62歳のアペルさんにとって、この「アートインサイト(Art inSight)」プログラムは、消えてなくなってしまったのではないかと恐れた自分の世界の核心部分にとって生命線となっている。「このプログラムを通じて、私はつながっていると実感する。ずっと愛してきたもの、私にとてもたくさんの刺激を与えてくれたものにつながっていると感じる」とアペルさんは語る。宝飾品デザイナーだったアペルさんは、かつて美術館から多くのひらめきを得た。

■ガイドに導かれて作品を鑑賞

 今月のツアーでは、20人ほどのグループが「抽象の発明、1910~1925年」と題された展覧会を訪れた。作品の大半は傷みやすい絵画やドローイング作品なので、手で触れることは許可されていない。代わりに来館者はガイドと、ガイドの想像力に頼っていた。

 ガイドは型破りで言葉での描写が難しいワシリ・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)やカジミール・マレーヴィチ(Kazimir Malevich)ら、それまでの絵画の枠を打破した20世紀初頭の作品を視覚化しなければならない。それぞれの作品の前で、グループはガイドの丁寧な説明を聞き、作品の意味について会話した。

 マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の1918年の彫刻作品「A Regarder (l'autre cote du verre)d'un oeil, de pres, pendant presque une heure」(眺められるべし──ガラスの反対側から──片目で、近づいて、1時間近く)の前では、長い時間が費やされた。ガイドは語る。「土台に細長い長方形の箱があります。この部分はただの土台で、作品ではありません」。そして、幾何学的な図像が配置されているガラス板を詳しく説明していく。

 車椅子に乗るアペルさんがガイドの説明を聞きながら作品の方にぼんやり顔を向けていると、夫のバリーさんが説明を補足した。「ガラスには、ひびが入っているんだよ」とバリーさん。「本当に?それは興味深いわね」とバーバラさんは驚嘆した。それからバリーさんはデュシャンのガラス板をのぞき込み、「ぼくは未来をのぞき込んでいるよ」と軽妙に語った。

■言葉と指先で味わう芸術

 体の不自由な人を対象としたMoMAのプログラムの監督を務めるキャリー・マギー(Carrie McGee)氏は、1970年代に初めて目の不自由な人たちを彫刻作品のツアーに招待したと語る。さらにその後、絵画など手で触れることのできない作品を鑑賞してもらおうという挑戦が始まったという。

「体験ができるだけ多感覚的になるように、私たちはよく意見交換しています」とマギー氏は語る。例えば、エドバルト・ムンク(Edvard Munch)の絵画「叫び(The Scream)」の前では、ツアー参加者に絵画と同じように口を開いて手を顔に当ててみるよう勧めたという。

 しかし、彫刻に実際に触れることによる直接的なつながりに勝るものはない。通常のツアーの終了後、アペルさんはMoMAのスタッフにピカソのある作品の前に連れて行ってもらった。キュビズムの出発点となった作品の一つで、当時のピカソの恋人フェルナンド・オリビエ(Fernande Olivier)のブロンズ製の頭像だ。

 瞳は天井のどこか一点を見つめたまま、左手で作品の奇妙な輪郭をなぞるアペルさんの表情は、純粋な集中と喜びにあふれていた。彫像の鋭角な鼻と頰に触れ、「ここが彼女の顔、ここ」とアペルさんは言った。夫は「鼻が鋭いのを触ってみるといいよ」と促した。

「言葉で説明されているものに触れると、それが完全な現実になるんです」とアペルさんは語る。「私は今でも見ている。私は前と同じように今も、芸術を吸収している。人の頭の中には、素晴らしい視覚があるのよ」(c)AFP/Sebastian Smith