■治安強化の動きもなく

 パリでは膨大な数の軍隊や警察の要員が街中に配備された。治安は強化され、容疑者の家宅捜索が行われ、捜査の詳細が公表された。そんなことはここでは起きない。人的資源がない。カノの爆発に関連して誰かが逮捕されたという話も聞いたことがない。

 14年にカノの市場へ行くと、駐車場が建設中だった。多くの人々が集まる場所で、過去に爆発が起きたこともあるところだ。私は怖くなり、警察に電話して危ないと告げた。だが、分かってはいるが自分たちにはどうしようもない、という返事だった。同じような場所は他に何百とあり、彼らはそれらすべてを監視しているのだ。

 それでも、カノでの作戦は前よりも察知されにくくなっていると、軍のある幹部は私に語った。カノは商業都市で、遠方からも多くの人がやって来るため、武装治安部隊の配備を制限しているという。検問所や銃を見続ければ、人々は怖がって寄りつかなくなり、街が死んでしまう。カノでは貧困と失業の増加も問題なのだ。軍はもはや強制捜査や容疑者の逮捕について、毎日のように公表することはしなくなった。検問所の数も減らし、すべてうまくいっているという印象を人々に与えようとしている。

■「穴を掘るなら、浅く掘れ」

 14年のカノでの事件とその後、幾度にもわたった攻撃により、人々は戦うべき「共通の敵」がいると感じるようになった。人々はボコ・ハラムを、イスラム国家樹立を掲げるイスラム組織というよりも、倒すべき相手とみなすようになった。

 ここの人々もパリ同時テロの報道を見ている。衛星ネットワークのほとんどが、BBCなどの報道チャンネルを放送している。ここの人々はそうした攻撃が意味すること、すなわち愛する人を失うことであることを分かっているため、大きな同情が広がった。フランスもそれを経験をしたことに対し、悲しみもあった。だが一方で、フランスはシリア内戦にどう介入していくか慎重になるべきだという感覚もあった。ハウサ語のことわざでは「穴を掘るなら、浅く掘れ。自分が落ちることになるかもしれないから」という。