【AFP記者コラム】エルサレム、恐怖する「群衆」となった特派員
このニュースをシェア
■2人目のテロリスト
私はたばこ売りのカウンターの下に隠れた。たばこ売りは威嚇するようにハンマーを振りかざしていた。私たちの間に押し入るように身を潜めた男性は、長いナイフを持っていた。彼らは恍惚(こうこつ)とし、自分の身を守る構えができていた。地面に身をかがめていると、ブーツの音と銃弾が装填される音が聞こえた。ある者はすすり泣き、ある者は祈りをささげ、ある者は復讐を誓っていた。
長い数分間の後に突然、警察特殊部隊の隊員が1人、ターミナルから走り出て行った。彼が駆けていく姿はパニックを引き起こした。全員が隠れていたところから逃げ出し、反対方向へ走った。私もそうした。転んだ。唯一、目の前に見えたのは、兵士が地面に置き去りにしていった大きな軍用リュックだった。私はそのカーキ色の塊の影に隠れたが、丸見えなのは分かっていた。目を閉じ、すぐに終わると自分に言い聞かせた。
そして何も起きなかった。それは誤認警報だった。「2人目のテロリスト」はいなかった。
数日後、イスラエル南部のベエルシェバ(Beersheba)のバス停で、29歳のエリトリア人移民が「2人目のテロリスト」に間違えられて治安部隊に撃たれ、暴徒に殴打された。銃を持った男が兵士1人を殺害し、さらに10人を負傷させた襲撃が起きた後だった。そのエリトリア人は翌日、負傷が元で亡くなった。襲撃が起きたとき、彼は他の人々と一緒に隠れていただけなのに。
こうした、殺人に至る可能性さえある集団のパニック、「やられるのは自分か相手か」というメンタリティーに捕らわれた群衆全体を飲み込む非理性的な反応は、この地域では有名な現象だ。私はそれを見てきたし、感じてきた。私はそれを正当化することなく描写し、理解することができる。
しかし、あの水曜日、私はジャーナリストとして距離を保ちながら暴力を目撃し描写することができなかった。ただ、その暴力の中心にいることを感じ取っていた。その経験は、現在パレスチナとイスラエルが陥っている暴力の応酬と緊張を理解するために役立つだろうか。その経験は私の仕事に役立つだろうか。答えはイエスだ。だが、あれはできることならば、避けていた経験だろう。(c)AFP/Daphne Rousseau
この記事はAFPエルサレム支局(スウェーデン)のダフネ・ルソー記者が執筆し、10月26日に配信されたコラムを日本語に翻訳したものです。