■ガダルカナルで墜落、失神

「そして、最終的にガダルカナル(Guadalcanal)を攻撃、つまり日本が造った飛行場をアメリカにとられて、あそこのガダルカナルに日本の軍人と軍属が何十万というほどジャングルに追い込まれてそれを救うために私たち、…2つの航空母艦で救出に行ったときの、これは私の飛行機で(ジャングルで廃虚になった飛行機の写真を見せる)」

(注:ガダルカナルの戦いは、1942年8月~翌43年2月まで、ソロモン諸島のガダルカナル島で日本と米国主導の連合軍との間で戦われた。上陸した日本軍3万人のうち2万人が悲惨な状況で命を落とし、数多くが餓死したため「餓島」とも呼ばれた)

「この人と撃ちあって(後に米国サウスダコタ(South Dakota)州知事になった米海兵隊のパイロット、ジョー・フォス(Joe Foss)氏の写真を見せる)、この人がいわゆる私を落とした第1号」

「そのころ一番私がつらかったのは、自分の飛行機が落とされて、どうしてこうして助かったのかなあ、と思うのですが、まず第1番に、相手が12~13機で、私たちの飛行機を一撃して、日本のゼロ戦はスピードは580キロ以上出すと飛行機が弱くて空中分解するという、そういうことを向こうで知っているもんだから、さあっと逃げていった。でも、それを追っかけて私たちは撃ち落したんですが、そのうちの1機がこれだった」

「きゅうっと上空へあがって私たちの戦闘機の後ろについちゃた。私が一番うしろの方の小隊長ですからね、これを見逃していると、うちの戦闘機というのがみんな後ろからやられてしまうから、もう仕方がないから私が犠牲になって撃ち合って自分も落っちゃうと。…(中略)…そうしたら私の左腕がボーンとはじかれて、見たらねえ、(上着を脱いで腕をまくって傷跡を見せてくれる)私の腕に卵くらいの穴があいている。血がぷわーっと噴出した。これがそうなんです(上腕にへこんだ部分がある)」

「中の燃料タンクも穴を開けられ、座席の中へ燃料のにおいがばっときたから、それ回していると火だるまになっちゃうから、これを切った。エンジンスイッチを切って、ゴムでちょっと(上腕の上を)巻いてね、(止血は)利かない。血がばっとふきだすから、もうしょうがないから、どっかおりるとこないかな、と思ってみたら、もうどこもないし、ヤシの密林があったから、そこへもってってぶつけちゃおうと」「ヤシの木のところへどーんとぶつかって、やしの葉が私のまえ(に)バーっときたと思ったらそのショックで私、失神しちゃって、気がついたら、逆さになって落ちている」