■勝ち戦のような雰囲気、不安

「しかし、その(真珠湾攻撃に出撃し)帰ってきた(部隊は)こちらの計画通りの戦果をあげて、2次攻撃では多少の被害はあったけれども、ほとんど被害というほどのことはなかった。そういう戦果を日本中が勝ち戦のように沸きあがって、もうやったやった、もうほんとうに戦勝気分のような雰囲気でした」

「そういう雰囲気であればあるほど、その時の私たちの守るほうに携わった人間とすれば、つらいんです。日本のためにささげてあるんだから、そういう時に真っ先に使ってもらって、そして、自分の命を差し出すということもできなかったから、悔しさをこらえてじっと我慢をしていた」

「私たち航空艦隊の人間は、この航空母艦というものの強さと弱さは自分たちの生命ですから、一番よく分かっている。そして、ハワイから帰ってきた仲間の人たちに、航空母艦が何隻おったという質問をしたところ、航空母艦は全然いなかったよ、と」

「あ、これはえらいことだなあ。日本よりもまだ強力なアメリカには航空母艦があるのに、一番大事なその航空艦隊を一つも見なかったということは、どっかへ回して、避けてたんではないか。これは将来えらいことにならなきゃいいなあ、と。自分の与えられた任務に対する不満もあるけれど、それ以上に私たち一兵卒ではありましたけれども、非常に不安を感じたことは事実」「それが、今度はミッドウェー(Midway)海戦でそれが的中してしまう」

(注:ミッドウェー海戦は1942年6月4日から7日にオアフ島北西にある環礁で日米が戦った。ここから戦況が日本にとって悪化。日本の暗号が米国に破られたことも日本敗北の要因とされる)

「(昭和)17年(1942年)の6月の5日と6日に、私たちミッドウェー海戦の真っ先きに飛び上がったほうなんですが、日本の一番重要な(母艦)、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、この4隻が全滅をした。そして、かろうじて、向こう(米軍)の航空母艦1隻だけは沈めたけれども向こうは無傷」