■生き残ることができた理由

「ただ沈めちゃ人間の命がもったいねえ。日の丸の旗で包んで浮かないように沈めようじゃないか。私はそれまでやって、お参りをみんなにやってもらってきたけど、しまいにはもう、布がなくなる、沈めるものもないからしょうがない、涙を呑んで流した人も。名前もだから、全然分からない。私はだから、とうとう呉の病院に来たときには意識不明で、私も運ばれるほう(に)」「それが、戦争の私の最後の(頃の状況)…病院船で運ばれて、また生きちゃった。こんな人も今、いないそうです」

「(生き残ることができた理由)…それはねえ。私は、その人の、運命ではないかというふうにも思っています…(中略)…心理学の東京大学の先生に手相と人相を見てもらって、この人は短命だ、この人は生命線が長いとか、言われたことがある。私は人相・手相を信頼していなかったのですが …(中略)…どれが長生きできるんだかどれが短命だか、その判断はお医者さんでも難しいんではないですかねえ。でも、最後まで諦めないこと、これは私の最初から最後までの守り通した、がまんをできるだけして、諦めないことが、生命を保つだけのもとになったんではないかと」

「だから、割合に重症になっても、なに、俺はまだ、東大の先生が生命力があると宣告を頂戴しているんだから、こんなことで死ぬもんか、と。ところがねえ、案外早く諦める人は、おっかさん、おっかさーん、と言う人ほど、早く死ぬ人いない」「だから自分の生命に対する執着心。これはね逆にいうと、命が惜しいのか卑怯者、と言われる場合もありますけれども、せっかくの与えられた命、これを最後まで大事にするということに(関し)私は、卑怯でもなんでもないと思います」

「自分の命を大事にするということが、いいこととか悪いこと(か)、という究極的な考えはなかったんですけれども、私の家内がね、あなたが死んだら戦死したら、私も即刻自決をして軍国の母になります。決してあなたお一人を死なせません、ということを常に私が戦地に行く前には言っていたし、戦地に行ってからも、帰ってくると、そういう発言をしていましたからね、これが一つのね、本当のいい夫婦愛ではなかったか、と」