【7月24日 AFP】福島県楢葉町でそば店を営んでいた山内悟(Satoru Yamauchi)さんが、2011年の東日本大震災に伴う東京電力(TEPCO)福島第一原発事故で避難を余儀なくされてから4年以上が過ぎた。政府は原発から20キロ圏内にある楢葉町の避難指示を9月に解除する方針だが、多くの避難住民と同様、山内さんは町に戻りたいのかどうかよく分からないという。

「もう一度そういう(以前の)生活をしてみたい。ここでは無理だと思うけれど」。20年以上切り盛りしてきた自分のそば店を訪れた山内さんは、AFPにそう語った。4人の子を持つ父親である山内さんは今、避難先の東京で暮らしている。

 政府の避難指示解除は、全町村避難が続く自治体では楢葉町が初めてとなる。安倍政権は今後、楢葉町以外の避難指示区域についても解除を進め、17年3月までに一部区域を除いて全面解除を目指している。

 東電は「精神的損害賠償」として避難指示区域などの住民に月10万円を支払っているが、避難指示解除から1年後に支払いは終了することになる。

 政府は数年に及ぶ除染が終わったとして安全性を強調している。しかし活動家らは、いまだに高濃度の放射性物質が検出され居住に適さない地域が多数あると指摘。住民の多くは自宅を放置したまま避難してきており、損害賠償の支払い打ち切りを東電に認めれば、避難住民に荒廃した自宅への帰還を強制することになると批判している。

 国際環境保護団体グリーンピース(Greenpeace)は21日、原発から北西に約40キロ離れた飯舘村で実施した放射線調査の結果を発表した。それによると、除染が進んでいるのは主に道路や住宅周辺など村の面積の4分の1にとどまるという。また、除染済みの地域と除染されていない地域の両方で高い線量が測定されており、公衆衛生の観点から村民の帰還は不可能だとの見方を示している。

 グリーンピースは、飯舘村では国際基準による一般公衆の被ばく限度の20倍もの放射線を浴びる恐れがあると警告。特に、山林地帯は長期にわたって放射性セシウムの貯蔵庫となり、山林以外の環境の再汚染を引き起こす原因になると指摘した。

 原発事故で放出された放射性物質が風に乗って降り注いだ飯舘村と異なり、原発の南東に位置し当時は風上に当たっていた楢葉町の線量は、政府調査ではずっと少ない。楢葉町役場の調査によれば、帰宅して町を再生したいと考える住民が多数いたという。

 それでも、帰還すべきか否かの選択を迫られている避難者にとって、懸念は依然根強い。

「戻ってきても畑仕事ができるわけじゃないし、田んぼもできるわけじゃない。山菜も採れないし」。そば店で旬の山菜の天ぷらを提供してきた山内さんは、かすれた声で語った。「(店は)自分の全て。――この店は自分が生きてきた証しなんですよ」

「(戻っても)何もいいことないですよね」 (c)AFP/Natsuko FUKUE