■「毒の注射」と「姉への愛」

 当時、同収容所には旧ソ連軍が迫っていた。このことを知ったナチスは、毒物やガソリンを収容者に注射して、できるだけ多く殺害しようと試みた。並んだ腕に次々と注射針が刺されていくなか、スザンナさんは姉と他の女性ら3人に、針が静脈に刺さらないよう腕の向きを変える案を伝えた。

 だが、毒の回りは早く、すぐに腕が動かなくなった。スザンナさんは寝床にしていた干し草の束をつかみ、それを腕に押し付け圧迫した。そして毒を取り除くために干し草の硬い部分で皮膚をえぐった。姉と他の女性たちにも、どうにか同じ処置を施すことができた。「神に導かれたようだった」──スザンナさんはそう振り返る。

 血まみれになりながら、スザンナさんは姉を近くの丘まで引きずっていき、下方へと転がした。近くにナチスの隊員が居たため、自らは死んだふりをした。すると隊員に蹴られて姉と同様に下まで転がり落ちたという。その後、放置された牛舎へと姉を運び、そこに残されていた牛乳を与えた。旧ソ連軍が到着したのはその翌日だった。

 それから間もなく、姉のアギさんはダンツィヒ(Danzig、現在はポーランドのグダニスク)の病院で、壊疽(えそ)を起こしていた両足を切断し、一命を取り留めた。スザンナさんは生還できたことについて、「終始、私の脳ではなく神の意志が働いていた。私は第六感でその意志に従ったのみ」と語った。

 その後、スザンナさんとアギさんはイスラエルに移住。スザンナさんは結婚し、娘1人をもうけ、2人の孫にも恵まれた。アギさんも結婚したが、2013年に88歳で亡くなった。これを受けて、スザンナさんは姉の体験を世界に伝えることを決心する。イスラエルの映画監督、ヤルデン・カルミン(Yarden Karmin)氏とともに生まれ故郷へと向かい、そこでこれまでの体験を基に、ドキュメンタリー映画『In The Third Person』を制作。プライベート・スクリーニングが15日に行われた。

 今年は、ナチス強制収容所の解放と第2次世界大戦終結からちょうど70年の節目の年にあたる。映画は自分の記憶を止めておくためのツールと述べるスザンナさんは、「私の最後の仕事は長生きすることでも、映画を観に行ったり気楽にのんびり過ごしたりすることでもない。これまでの体験を語ることなのです」と語った。(c)AFP/Jonah Mandel