【4月17日 AFP】ナチス・ドイツ(Nazi)によるホロコーストの恐怖を体験し、少なくとも3度にわたって死を免れたスザンナ・ブラウン(Suzanna Braun)さん(86)──これまで生き延びることができたのは、姉を救う決意と「神の意志」があったからだという。

 最初に死を免れたのは全くの運だった。スザンナさんと4歳年上の姉アギ(Agi)さん、そして2人の両親は、故郷コシツェ(Kosice、現スロバキアの都市)に集められ、ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所へと送られた。この時、スザンナさんは16歳の誕生日を迎える直前だった。

 収容所では男女別々に分けられた。別れ際に「姉さんを頼むぞ」と叫んだ父親の言葉は、ガス室に送られる前の最後の言葉となった。当時、病を患っていた姉のアギさんを心配しての言葉だったのだろう。

 現在、エルサレム(Jerusalem)の西にある小さな村の老人ホームで暮らすスザンナさん。当時の記憶は鮮明に残っており、かすかにガスの臭いのする「シャワー」に連れて行かれた時のことを詳細に語った──「服を脱がされてせっけんを持たされた。『シャワー』室の鉄製の扉に鍵が掛けられると、うわさを聞いていた女性たちはパニックに陥った」──と。

 扉が開いた時、彼女たちは死を免れたことを知った。ガスが切れたのだという。その後、直前に殺害されたロマ人の服を着せられ、スザンナさんたちは貨物車両でエストニアへと移送された。そこで彼女たちを待ち受けていたのは「死の行進」だった。

「死の行進」は、できるだけ多くの人を死に追いやり、衰弱させることを目的としていた。スザンナさんたちもそれに参加させられたのだ。

 この行進の最中にスザンナさんの母親は射殺された。その後約1か月間、スザンナさんは押し黙ったまま言葉を発することがなかった。そして生き残った唯一の肉親である姉を守ろうとの決意が一層強くなったという。「姉を救う方法以外、何も考えなかった。父に託されたのだから」と当時の心境を振り返った。

 行進を生き抜いたスザンナさんたちが次に送られたのは、シュトゥットホーフ(Stutthof)の強制収容所だった。