【1月17日 AFP】アルファベットによる中国語の発音表記法「ピンイン(Pinyin)」の考案者の一人として知られる周有光(Zhou Youguang)氏が13日、109歳の誕生日を迎えた。清朝の時代に生まれ、断固たる態度で民主主義を支持してきた周氏の執筆活動は、今も一党独裁の中国共産党によって検閲されている。

 周氏はAFPとのインタビューで「改革開放から30年が経つが、中国はなお民主主義の道を進む必要がある。それが唯一の道だ。私はずっとそう信じている」と語った。

 1950年代に導入されたピンインは、中国語の発音をラテン文字に置き換えて音訳する表記体系を指し、中国内外の多くの学習者に使われている。こうした偉業を達成したにもかかわらず、周氏はマンションの3階にある古い本が詰まった小さな部屋で「自尊心などないし、たいして成功を収めたとも思わない」と話す。

 1906年、上流階級の家庭に生まれた周氏は、末期の清朝が革命によって倒れた時代を経験した。青年期は中国・上海(Shanghai)と日本の一流大学で学ぶ。1937年に日本が中国への全面的な侵略を開始すると、周氏は妻と2人の子どもと共に中国中部の重慶(Chongqing)へ移り、そこで当時は比較的、影響力が弱かった共産党指導者らと接触するようになった。

 日本の敗戦後、周氏は中国共産党と中国国民党による内戦を避けて米国に渡り、米ニューヨーク(New York)の金融街ウォールストリート(Wall Street)で中国系の銀行に勤めた。

 しかし、1949年に共産党が内戦に勝利すると、周氏は中国に戻った。周氏は2012年の自叙伝で「帰国の理由は2つ。中国が解放され、新たな希望が生まれたと感じたこと。それと、母親がいたこと」と明かしている。毛沢東(Mao Zedong)の共産党は「当時、自分たちは民主主義者だと打ち出していた」ので引き付けられたと、周氏は記している。

■識字率向上に貢献したピンイン

 人工国際語「エスペラント(Esperanto)」を独学で身に付けた周氏は1955年、識字率を高める国語改革に取り組む委員会の共同委員長に抜擢され、ピンイン開発に関わることになる。最終的に周氏は、音の高低を示す符号とともにアルファベットで発音を表すという、ソ連で開発された表記法を後押しした。

「音を合わせる」という意味で「拼音(ピンイン)」と名付けられたこの提案は、中国全土の学校で使用され、識字率の向上に貢献。1950年代に20%前後だった識字率は現在、90%を超えるまでになった。