【12月25日 AFP】2004年12月26日、あの大津波が生まれたばかりの赤ん坊を自分の腕からさらっていってから10年、ミー・テーさん(40)は今もインド洋大津波で失ったわが子の記憶にさいなまれている。タイに住んでいたミャンマー移民の多くと同様、彼女の子も遺体が特定されなかった。

 津波がタイ南西部を襲ったときに亡くなった外国人労働者の正確な数は不明だ。ほとんどの外国人労働者が労働許可証を持たないことに加え、親族たちは身柄拘束や強制送還を恐れ、数日から数週間経っても届け出なかったためだ。

 タイ全体では推計200万人に上るミャンマー人が働いているとされ、低賃金かつ劣悪な環境下で搾取されている膨大な移民労働者の一角をなしている。しかし、インド洋大津波とそれを引き起こしたスマトラ沖大地震の際、メディアは外国人観光客やタイ人の犠牲についてばかり取り上げ、ミャンマー移民の死にはほとんど光が当てられなかった。

 22万人以上が死亡・行方不明となったスマトラ沖大地震で、タイ政府が公式に発表した国内の死者数は5395人。一方、タイで津波被害に遭った6県全体で約2000人のミャンマー移民が死亡したと推定されるが、公式統計で数えられているのはその一部だけだ。また現在も行方不明の400人のうち、4分の1がミャンマー人とみられている。

 そうした犠牲者の中には、生後8日目でまだ名前も付けていなかった子を含めたミー・テーさんの3人の幼子、母親、おいの5人も含まれる。

 つらい記憶があるにもかかわらず、ミー・テーさんは津波から約1年後に、最も大きな被害を受けたパンガー(Phang Nga)県の小さな漁村バンナムケム(Ban Nam Khem)に仕事を求めて戻ってきた。波が赤ん坊をさらっていった場所を指さしながら「働いているときは起きたことを忘れられる」と語る。「でも子どもを連れて食事にいく家族を見たりすると、すごく悲しくなる。子どもたちが生きていれば、今ごろ私たちもそんなふうだっただろうと。それを忘れることは1日もできない」