■敗北を勝利に変える

 15年間にわたって権力の座に──大統領として3期、首相として2期──君臨したプーチン大統領は、世界各国で首脳が現れては消えるのを見てきた。その間、米国の大統領は3人、フランスと英国の首脳もそれぞれ3人が登場した。

 その15年の間に論争となる問題は積みあがっていった。1999年、プーチン氏は権力の座についた数週間後、チェチェン共和国のイスラム教分離派との紛争を開始した。さらに2008年にはグルジア紛争へ、そして独立系メディアを弾圧し、政治的敵対勢力を排除した。

 2014年はプーチン大統領にとって最悪の年となる可能性もあった。

 ウクライナでの親欧州連合(EU)派による抗議デモは、旧ソ連の国をまたひとつ、ロシアから切り離そうとしていた。そしてプーチン大統領がロシアの有権者と交わした約束──経済的な安定をもたらす代わりに政治的自由を減らす──は、ロシアが深く依存する原油価格の下落により混乱の中にあった。

 しかしプーチン大統領は迫り来る敗北を、相次ぐプロパガンダの勝利に塗り替えてみせた。

 欧米側は、通貨不安と経済制裁がプーチン大統領をひるませると期待している。だが、同大統領はより長期的な視点を持っていると主張する専門家もいる。

 モスクワ(Moscow)の「ポリティカル・エキスパート・グループ(Political Experts Group)」のコンスタンティン・カラチェフ(Konstantin Kalachev)氏は「50年から100年たてば、歴史家はルーブルの為替レートに興味を持たないだろう」と豪語する。

 他のナショナリストらと同様に、プーチン大統領の語る物語は、「力」と「被害者意識」の混合から成る。欧州連合がロシアの裏庭に干渉している、北大西洋条約機構(NATO)はロシアを包囲している、欧米の退廃がロシアの品性を汚している、そしてプーチン氏はそれらに立ち向かっているのだ、と。

 時に、その言葉はまるで宗教のような調子を帯びた。クリミアは、休暇を過ごすビーチや海軍基地があるだけでなく、それよりもはるかに大きな意味を持ち、それは「聖なる土地」となり、ロシアの「神殿の丘(Temple Mount)」と呼ばれた。

「プーチン大統領は、ロシアを欧米から救う使命を担った永遠の指導者を自認している」と、モスクワのアナリスト、マリア・リップマン(Maria Lipman)氏は述べた。

 欧州の多くの人々は衝撃を受け、一部の人は新たなアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)だとさえ呼んだ。一方、特に反米傾向のある人たちなどを中心に、プーチン大統領が男らしく欧米のリベラル勢力を踏みにじる様子をうっとりと眺める人々もいた。