当時軍政下にあった韓国では、民衆から激しい怒りが巻き起こり、数多くの反ソ連集会が開かれたが、その大部分は米ソ間の舌戦によってかき消された。

 マレーシア機の場合と同じく、残骸や遺体の捜索作業は、米国がソ連軍船の介入に繰り返し苦言を呈するなど、混乱と敵対心の中で行われた。

 KAL007便のフライトレコーダーとボイスレコーダーの回収は、ソ連の崩壊後になってようやく公表された。機密指定された文書からは、ソ連政府が残された記録からは同便がスパイ任務に関わっていた証拠を示せなかったため、レコーダー回収の事実を伏せていたとことが示唆されている。

 これらレコーダーに残されていたデータは1993年に国際民間航空機関(International Civil Aviation OrganisationICAO)に引き渡された。ICAOは、ボイスレコーダーの記録について、ソ連領空への侵入が意図的ではなかったとする当初の調査結果と合致するものとの見解を示している。

 フライトデータからはまた、ミサイル攻撃によって機体が致命的な損傷を受けたものの、空中分解には至らなかったことも示された。減圧した機体はらせん状に旋回しながら12分間かけて地面へと落下。専門家らは、機体が地面に激突するまで、乗客の大半が完全に意識を保った状態だったと考えている。(c)AFP/Giles HEWITT