■時代の変遷の目撃者

 ホーリーさんは愛車であるスカイブルーの1965年製フォルクスワーゲン・ビートル(Volkswagen Beetle)に乗ってカトマンズ周辺を走り回り、登頂を控えた、もしくは終えた登山家たちへの取材を続けている。だが、それ以外の部分では登山を取り巻く状況はすっかり変わってしまった。

 一国を挙げて政府が登山隊を派遣した時代に取材を開始したホーリーさんは、単独登頂が主流となった時代を経て、商業登山が隆盛する今の時代を懸念の目で見つめている。「シェルパたちが外国人登山客にロープをつけてあげたり、外したりしなければならないケースもあったらしい。その登山客グループはそれさえも知らなかったのだそう。一体、何をしに行ったのかしら」

 4月18日の雪崩事故でも、外国人登山客のためにシェルパが引き受けるリスクについて議論が巻き起こり、数百人のシェルパたちが今シーズンの登山に難色を示して事実上、閉山されてしまう事態に陥った。

 ヒラリー卿が1960年に設立したシェルパ支援のための団体「ヒマラヤン・トラスト(Himalayan Trust)」の活動にも数十年間、協力してきたホーリーさんは、これほど多くのシェルパたちを失ったことは、地元社会にとって「痛恨の極み」だと語る。

 しかし、今回の閉山措置が将来にわたってネパールの登山関連産業に影響を及ぼすことはないだろうとも話す。「登山客たちは忘れてしまい、またやって来るようになるでしょう。だってやっぱりエベレストというものは、登山客が自分たちの故郷に帰ったときに有名人や重要人物に仕立てあげてくれる存在でしょう」

 一方、ホーリーさん自身も歴史に名を刻む業績を成し遂げ、ホーリーさんの伝記やドキュメンタリーもある。ヒマラヤにはホーリーさんにちなんだ名がつけられた高峰もある。ただその峰を訪れる計画はないという。「いいえ、結構よ。私はトレッキングが嫌いで、心地の良いベットで眠り、温かい食事をとる方が好きなのよ。山に登りたいなんて一度も考えたことがないわ」(c)AFP/Ammu KANNAMPILLY