■世界最高峰での偉業を次々に報道

 ホーリーさんがつかんだ初めての大スクープは、1963年に米国の登山隊がエベレスト遠征を敢行した際、ベースキャンプと現地大使館をつないだ機密の無線通信への接続を、米駐在武官がホーリーさんに認めたことがきっかけとなった。その結果、米遠征隊がエベレスト登頂に成功したニュースを世界に先駆けて報じることになる。

 すぐに、ヒマラヤ登山に関する権威の1人という評価を築き上げ、新記録を樹立したという登山家たちの主張の真偽を検証する第一人者となった。「私はかなり強引な性格だと思う。話が本題に入り、私の質問をかわすことができると思っている人がいるならば、考えを改めないとね」

 インド人の13歳の女子生徒、マラバト・プルナ(Malavath Poorna)さんが先月、女性最年少のエベレスト登頂に挑戦した際には、ホーリーさんがまとめた「ヒマラヤン・データベース(Himalayan Database)」によって成功が認定され、エベレスト登山史に新たにプルナさんの名前が刻まれた。

 ホーリーさんのデータベースはこれまでの記録を徹底的に網羅しているため、エベレスト登頂者に無料で食事を振る舞っているカトマンズ市内のレストラン「ラムドゥードゥル(Rum Doodle)」の経営者は、客たちの登頂の成否を確認するため、まずはホーリーさんに電話するという。

 日本人登山家の田部井淳子(Junko Tabei)さんが1975年に成し遂げた女性初登頂や、その5年後にイタリアの伝説的登山家ラインホルト・メスナー(Reinhold Messner)さんが達成した史上初の無酸素単独登頂など、エベレスト登山史に残る数々の偉業をホーリーさんは報じてきた。

 とりわけメスナーさんとは今も親しい間柄だ。さらには、もしもホーリーさんがいなかったら、メスナーさんはその栄誉を勝ち得ていなかったかもしれない。ホーリーさんによるとその頃、北極点への単独到達という歴史的快挙をすでに達成していた日本人冒険家の植村直己(Naomi Uemura)さんが、次のターゲットをエベレストに据えていた。「メスナーはずっと単独登頂を計画していたけれど、数年間は挑戦しないつもりだった。そんな時、日本の登山家が単独登頂を目指すつもりだという話を私が聞きつけて、メスナーに話したら計画の実現に乗り出したのよ」